キマイラ文庫

魔法捜査官

喜多山 浪漫

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目次

魔法捜査官

喜多山 浪漫

第3話

『Grimoire(魔導書)』<16>

 ここで見た光景を、僕は一生忘れない。

 子供たちを手分けして捜索するためとはいえ、圧倒的不利な状況下で戦力分散の愚を犯してしまったことを、僕は生涯悔やみ続けることになる。


「本城……」


 そこには本城翼捜査官の変わり果てた姿があった。

 2年B組で見た、あの奇妙なオブジェのようにグニャグニャに曲がった肉塊。人体の可動域の限界を大きく超えて捻じ曲げられた肉体。当然、確認するまでもなく本城はすでに息絶えている。本城の右手にはオラクルが握られていたが、そのオラクルもいびつに歪んでおり、すでに本来の機能を果たせない状態にあるのは一目瞭然だ。

 唯一の救いは本城が苦しむ間もなく意識を失ったと思われることだ。あどけなさの残る整った顔は、何が起こったのかわからないとでも言いたげに、きょとんとしている。

 アルペジオが本城の遺体に近づいて、開いたままの本城の目を閉じてやる。

 そして静かに敬礼するアルペジオに僕もならう。

 気の置けない仲間ができたと思っていたのに……。

 悲しみと憤りとがないまぜになって僕の心をかき乱す。隣で敬礼の姿勢を崩さないアルペジオの瞳はどこか遠くを見ているようで、その心境は読み取れない。


 本城の遺体から少し離れた廊下のすみっこで、ローリングサンダーが小動物のように震えている。その目から涙が溢れているが、それは悲しみよりも恐怖が勝っているように見える。親指の爪を噛む右手もガタガタと震えが止まらないようだ。あのローリングサンダーがここまで怯えるとは……。


「捜査官から管制官に連絡。本城捜査官は殉職。残念ながら間に合いませんでした」


「そう……。残念だわ」


 オラクルの向こうから管制官の歯を食いしばる音が聞こえてくるようだった。法に基づいた指示とは言え、自らの出した指示が原因で捜査官をみすみす死なせてしまったのだ。口惜しくないわけがない。


「風馬捜査官は魔法使いローリングサンダーを引き継ぎ、捜査を続行。被疑者の確保にあたってちょうだい」


「……了解」


 ここで魔法の使用制限を上方修正しなかった管制官をなじったところで始まらない。

 僕は喉まで出かかっている言葉をぐっと飲み込んで、捜査を継続することにする。

 しかし、その前に無残な姿となり果てた本城をそのままにしておくのは忍びなく、スーツのジャケットを本城の遺体にかぶせた。


「……大丈夫ですか、捜査官殿」


「……ええ。ですが、ここにいてはいずれ徘徊している魔法生命体(ゴーレム)に見つかってしまいます。いったん教室に身を隠して、ローリングサンダーを落ち着かせましょう」


「そうですね。そうしましょう」

 ・

 ・

 ・

「一体何が起きたんですか?」


 誰もいない教室に一時的に避難し、ローリングサンダーが少し落ち着いた頃を見計らってから僕は切り出した。


「あれは……子供だった。女の子だ。2年B組の他のガキどもと一緒にアルペジオに手品をしつこくねだっていたから何となく覚えてる。あのときは、ただの無邪気なガキんちょの一人だと思ってた……。けど、アタイらが捜査してたら、さっきの場所にポツンと立ってやがったんだよ、アイツが……」


 ローリングサンダーは、涙で化粧が落ちて出来の悪いパンダみたいになった顔で、唇を震わせながらポツポツと語り始める。


「最初は気でも狂っちまったのかと思ったんだ。だってよ、魔法生命体(ゴーレム)どもがウヨウヨいる校舎を一人でうろつくなんて正気じゃねえだろ? しかも、何が面白いのか、ニヤニヤと嫌ぁな笑みを浮かべてやがったんだ。だから、アタイは思ったのさ。ああ、このガキは恐怖で頭がおかしくなっちまったんだってな」


 そこでローリングサンダーは言葉に詰まった。頭の中には当時の情景が浮かんでいるのだろう。

 喧嘩上等な特攻服でいきがってはいるものの、ローリングサンダーとてまだせいぜい高校生になっているかどうかぐらいの少女だ。目の前で親しい人間があんな殺され方をして平静でいられるはずがない。


「ア、アタイの勘は間違っちゃいなかった……。あのガキは確かに狂ってた。けど、そいつは恐怖のせいなんかじゃねえ。あのガキは最初からトチ狂ってやがったんだよ……!!」


 最後は胸の中にある汚物を吐き捨てるように言い放つ。


「魔導書(グリモワール)のせいでおかしくなった可能性は?」


 本城は、被疑者が被害者であると信じていた。この場に彼がいたなら同じように確認したはずだ。


「……いいや。あれは性根から腐ってる外道の類だ。人を人とも思ってねえ。ああいうのをサイコパスって言うんだろ? けど、本城の馬鹿は最期まで馬鹿だった。あのクソガキを被害者だと信じて同情しちまったんだ。「大丈夫だよ」「もう怖くないよ」なんて言葉をかけてよ……」


 ローリングサンダーは、本城の優しさを非難するつもりだった。だが、本城の優しさが心底子供を思いやってのものだと知っているから、嗚咽で言葉が詰まって最後まで口にすることができなかった。

 優しさは甘さでもある。それは時として命取りになる。そして、まさに今回不幸にして現実のものとなってしまった。


「あのガキ、ずっと笑ってた……。まるでオモチャの人形を壊すみてえに、笑ったまま本城のやつをグチャグチャにねじり殺しやがったんだっ……!」


「その子の名前……名札は確認しましたか?」


「ああ……。忘れもしねえ。アイツの名札には「とがりえいこ」って書いてあったぜ」


 被疑者が確定した。だが、その代償はとてつもなく大きかった。

 ローリングサンダーの瞳の奥には爛々とした炎が灯っている。それまで彼女を支配していた深い悲しみと恐怖が、理不尽に相棒を奪われた怒りへと変わったようだ。

 本城とローリングサンダー。性別も年齢も性格もまるで違う二人だったが、数々の難事件を共に乗り越えた二人にしかわからない絆があるに違いない。その大切な相棒を唐突に奪われたのだ。しかも、とても人間の所業とは思えない手段で。怒りが湧いてこないわけがない。本城と出会ってまだ間もない僕ですら、さっきから怒りで身体が上気しているのだから。


「捜査官から管制官に連絡。被疑者の名前は「とがりえいこ」と判明。至急、照会をお願いします」


「……了解」


 管制官が短く答える。

 彼女なら僕に言われるまでもなく被疑者の身元の割り出しにかかっているだろう。


「しかし、あそこまで徹底的に……執拗と言っていいほど人体を破壊するメンタリティは異常としか言いようがありませんね。小学生の犯行とは、にわかに信じられません」


 怒りと火照った頭を冷やそうと、僕は被疑者の異常性を指摘して冷静さを取り戻そうと試みた。僕の言葉に、「ふむ」と考えながらアルペジオが応える。


「小学生だから……じゃないですかね」


 アルペジオの穏やかな、しかし思わず聞き返してしまうような主張に、僕は目を見開いた。


「え? どういうことですか?」


「それほど驚くことではありませんよ、捜査官殿。ほら、子供って悪戯でアリを踏みつぶしたり、虫の羽や足をむしり取ったり、カエルの皮をはいだりするじゃないですか。アレと同じです。ただの興味本位なのか、圧倒的な力に酔いしれているのか、はたまた死というものに魅せられているのか。子供って時にこの上なく残酷な生き物になりますよね」


 その子供ならではの無邪気な残虐性が、魔導書(グリモワール)によって強制覚醒したために表面化したというわけか。とんだ魔法少女がいたものだ。


「ですがまあ、強制覚醒したからといって全員が全員こんなふうに凶悪犯罪に手を染めるはずもなく、おそらく被疑者にはその手の才能があったのでしょう」


 才能、か……。嫌な才能があったものだ。

 だが、歴史に悪名を残している犯罪者たちは幼少期からその才能の片鱗を見せている。動物の虐待はその典型的な例の一つだ。

 被疑者の少女が日頃から人目を忍んで動物を虐待していたと仮定しよう。偶然手にした魔導書(グリモワール)で強制覚醒した少女は万能とも思える能力を手に入れた。その少女が動物では飽き足らずに、人間の虐待に及ぶのはある意味必然とも言える。

 稀代の犯罪者の多くは、幼少期を劣悪な家庭環境で過ごしている。育児放棄、幼児虐待が犯罪者を生み出す温床となっているのだ。富裕層の子息が通う鳳凰学園にそんな劣悪な家庭環境があるとは思えないが、人の幸不幸は当事者にしかわらないもの。それに、信じたくはないが生まれつき悪魔のような心を持った子供がいる可能性だってある。

 とがりえいこ。

 果たして、被疑者の少女は今、何を思っているのだろうか……。