魔法捜査官
喜多山 浪漫
第3話
『Grimoire(魔導書)』<18>
「捜査官から管制官に連絡。これ以上犠牲者を出さないためにも魔法使用制限の上方修正を具申します。ご検討願います」
少しの間。
オラクルの向こう側にいる管制官の脳裏には、無残に死んだ本城の姿が浮かんでいるのかもしれない。
「……了解。状況を鑑みてLV15からLV20への上方修正を許可する」
なんと許可が下りた。
半ば諦めの境地にいたのだが、たった5とはいえ上方修正の許可が下りた。これまでのことを思えば異例中の異例と言える快挙だ。
「ちょっと待ってくれよ、轟の姉御。LV20じゃ、まるで足りねえ。アタイは本城の仇を討ちてえんだ。LV40まで許可してくれ」
それでも復讐に燃えるローリングサンダーにとっては物足りない。もともと本城が希望していたLV40を提案する。意趣返しと取れなくもないが、裏表のない彼女の性格を考慮すると、そこまで深く考えずに景気よく上方修正を提案しただけだろう。
「却下よ」
管制官は、今度は間を置かず一切の迷いなく答えた。
まあ、そうなるよな。
だが、それで引き下がるローリングサンダーではない。
「なんでだよ!? さっきだって姉御がLV20まで許可してたら本城のやつは死なずに済んだかもしれねえんだぞ!?」
ローリングサンダーが今度こそ明確に、管制官の判断を非難する。
「それは仮説でしかない。私は法とマニュアルに基づいて適切に判断を下しただけよ」
「本城のやつは殺されちまったんだ! どこが適切なんだよ!!?」
ローリングサンダーはこれまで轟響子管制官に対して彼女なりの敬意を払っているように見受けられた。しかし、ここに来て堪忍袋の緒が切れた。食って掛からんばかりの形相で僕が持っているオラクルに向かって吠えたてる。
この状況を見るに見かねたアルペジオが、僕の持つオラクルとローリングサンダーの間に割って入ってくる。
「まあまあ、落ち着いて」
アルペジオはどうどうと暴れ馬を落ち着かせようとする動作でローリングサンダーをたしなめる。
「あなたの気持ちはよくわかります。私もまったくの同感です。ですが、現場にいないお偉いさんに何を言っても無駄というものですよ」
アルペジオにしては珍しく辛辣な口ぶりだ。いつもはこういう場面でも諦観の言葉しか出てこないのに、さすがに同僚の死を目の前にして大人しくしてはいられないか。
魔法使いだって人間だ。都合よく使われるばかりの道具じゃない。アルペジオの言葉にはそんな抗議の気持ちがこもっているのかもしれない。
「……現場にいなくても、あなたたちの危機感は理解できるつもりよ」
魔法使い二人の言葉なんて当然の如く聞き流すものだと思っていたが、意外にも管制官が共感を示した。
「ふざけんな! わかるわきゃねえだろ!!」
「いいえ……。わかるわ。これは任務には関係のないことだから言わずにおこうと思ったのだけれど、このままじゃ捜査を進められそうにないから言うわね」
管制官が言い訳じみた前置きをしながら切り出す。
「……まだ見つかっていない2年B組の生徒の中に、私の姪っ子がいる」
「「「…………!!?」」」
管制官の言葉に衝撃が走る。
これにはさすがのローリングサンダーも二の句を告げずにいる。
なんてことだ。この地獄の釜の中に肉親がいるだって? 管制官は今までそのことを僕たちに悟らせずに判断を下してきたのか。
「そんな……」
僕なら絶対に冷静でいられない自信がある。実際そのときになってみないとわからないけれど、なんだったら自分の肉親の救助を優先して行動してしまうかもしれない。
だが、管制官はこれまでと変わらず、どこまでも被疑者の確保を最優先とし、鉄のような強さと冷たさで判断を下してきた。その警察官として法と任務に忠実たらんとする姿勢には敬意を超えて感動すら覚える。
「姉夫婦の一人娘でね……。私にとっては実の娘のような存在よ。今も校舎の中で恐怖に震えているかと思うと……すぐにでも現場に駆け付けたい。代われるものなら代わってあげたい。けど、私は……」
管制官だから、警察官だから、個人的な感情を一切捨てて任務に徹しなければならない、というわけか。
管制官はそれ以上、口にしなかった。最後のほうは声が震えていた。もしかして泣いているのか……?
鉄の女と思っていた管制官にも人間らしい一面があった。こんな酷い状況下でそれを知りたくはなかったけれど。
いくら任務とはいえ、肉親が命の危険にさらされているにもかかわらず、少なくとも表面上は淡々と冷徹な判断を下せるあたり、やはり鉄の女だ。けど、鉄の女というあだ名は、これまで鉄仮面をかぶった冷血女という皮肉で使っていたが、これからはどんなときでも冷静に判断を下せる鉄の精神力を持つ女性という意味で、敬意を込めて使うことにしよう。
ここで、ふと嫌な想像をしてしまった僕は、恐る恐る鉄の女に問う。
「まさか、その姪御さんが被疑者の少女ってことはないですよね……?」
少しの間。
まさか……。
「被疑者の名前は、とがりえいこ。姪っ子の名前とは違うわ」
ふぅ。
よかった。最悪の状況は避けられた。
改めて、残る子供たちの安全と被疑者の確保に意識を戻し、魔法使いアルペジオと魔法使いローリングサンダーの魔法使用制限をLV20に上方修正する。
そして、魔法生命体(ゴーレム)がいつ飛び出してくるかわからない廊下を、息をひそめながら進むことにした。
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レベルの低い魔法生命体(ゴーレム)とは、ほぼ遭遇しなくなった。おそらく共食いの結果だろう。
全体としての数は減った。しかしその分、CODEレッドやCODEデスの出現率が高くなっている。いずれも数こそ少ないものの、一触即死の超危険魔法生命体だ。できるだけ出くわさないように、仮に出くわしたとしても気づかれないように、細心の注意を払いながら一歩ずつ進んでいく。まだ捜査していない場所を一箇所、また一箇所と念入りに潰す。
「管制官から捜査官に連絡。被疑者とがりえいこの身元が判明した」
先程の肉親に対する感情をあらわにした管制官とは打って変わり、いつもの冷静な声。この短時間で切り替えるあたり、さすが鉄の女だ。……もちろんこれは皮肉ではなく称賛である。
管制官の口から語られた被疑者とがりえいこの人物像はこうだ。
両親ともに弁護士。とがりえいこは長女で、幼い弟がいる。家族仲は至って円満。裕福な家庭で、少なくとも経済的物質的には何一つ不自由なく育てられた。
私立鳳凰学園附属小学校には幼稚園からエスカレーター式で進学。成績は中の下。算数と体育が苦手。クラスでは目立たない存在で、教室でも一人で読書していることが多かったらしい。
と、ここまではちょっとばかり人見知りの傾向がある普通の小学生の女の子だ。
だが、とがりえいこが普通ではなかったことは管制官の情報で明らかになった。
近年とがりえいこの自宅近辺で虐待の末に死に至ったと思われる犬や猫の死体が発見される事件が発生していたという。それらの動物の死体は、ほんのひと月前までは、ただの虐殺された死体だった。それがこの数日で異常な死体に変わった。どれもこれも雑巾を絞ったみたいに四肢も首も胴体も螺旋状にねじ曲げられていたのだ。
管制官が短時間でここまで的確な情報を取得できたということは、何らかの魔法犯罪が関わっているものとして、すでにこの地域一帯の内定調査が始まっていたことを証明している。
しかし、不幸にも内定調査の結論が被疑者とがりえいこにたどり着く前に事件が発生してしまった。
被疑者とがりえいこは、自身に危険な魔力が発現したことを隠し、人目に触れずに動物実験を繰り返した。彼女は動物を虐殺するだけでは飽き足らず、ついには担任教師を殺害するに至った。
恵まれた家庭環境にありながら、なぜ彼女がそんなふうに育ってしまったのか。恵まれたというのはあくまでも第三者から見ての話であって、実際には家族仲が険悪だったり、彼女自身、虐待を受けていた可能性もある。
しかし、それでもだ。罪もない動物を虐殺し、担任教師と本城を殺した事実は揺るがない。彼女は明確な意志をもって動物を、人間を、殺した。
被疑者とがりえいこは怪物だ。
姿かたちが小学二年生の子供だったとしても騙されてはいけない。その魂は危険この上ない怪物だ。
近く彼女とまみえることになる。
とがりえいこは、擬態した怪物である。それを前提として確保。確保が難しい場合は処分まで覚悟しなければならない。
理屈ではわかっている。
だが、実際に彼女と対面したとき、僕は正しく行動に移せるのだろうか……。