魔法捜査官
喜多山 浪漫
第3話
『Grimoire(魔導書)』<19>
それからしばらくしてからのこと。管制官から通信が入った。内容はこうだ。
魔力反応あり。
場所は、捜査の手がまだ入っていない1階の音楽室。
管制官からの通信は至って簡潔なものだったが、この情報から次の推理が成り立つ。
今まで魔法生命体(ゴーレム)は教室や図書室、トイレのような施設に侵入することはなかった。ゆえに音楽室の魔力反応は人間――すなわち被疑者である確率が極めて高い。
僕たちは、最終決戦に備えて魔法生命体(ゴーレム)との戦闘を回避しつつ、音楽室へと向かった。
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音楽室にたどり着いた僕は、どうしたものか決めかねて扉の前で立ち止まった。
相手は子供とは言え、すでに二人の人間を虐殺している凶悪魔法犯罪者だ。迂闊に踏み込めば、警告する間もなく攻撃される恐れがある。慎重に行くべきか、それとも考える間も与えずに急襲するか。頭には様々な案が浮かぶが、どれもこれも絶対確実な方策ではなく、どれもこれもうまくいかない気がする。
魔法使いアルペジオと魔法使いローリングサンダーは、捜査官であり現場指揮官である僕の指示をじっと待っている。魔法使いは法律上、捜査官の指示に絶対服従。さもなくば反逆と見なされ、その場で処分――管制官の手によってグリムロックが爆破される寸法だ。
しかし、ローリングサンダーはともかく、アルペジオには嫌々従うそぶりは微塵もなく、しっかり僕の目を見据えている。これは僕がどんな判断をしたとしても必ずついていくという信頼の目だ。
「そんなところに隠れていないで出て来なさいよ」
僕がぐずぐずと作戦を決めかねていると、音楽室の中から少女の声が響く。
声色からは苛立ちの他に、人を見下した態度が見て取れる。被疑者とがりえいこのものに違いない。
「………………」
出て来いと言われて大人しく従っていいものか。罠かもしれないし、子供に恫喝されてすごすごと大人しく従うのも癪に障る。
「そのまま入ってこないつもりなら、ここにいるクラスメイトを一人ひとり順番に殺すことになるけど、いいのかしら?」
人質――
まだ発見されていない2年B組の生徒の数は8名。そのうち1名は声の主である被害者だとして、残り7名のうち一人でも人質に取られているなら僕たちに選択の余地はない。否も応もなく声の主に従うしかなく、僕はゆっくりと扉を開いた。
音楽室の中に机はなく室内の端に折り畳み式の椅子が並べられているだけ。しかし、2クラスまるまる入るぐらいの十分な広さがあった。一見殺風景だが、備え付けられた立派なグランドピアノが2台と巨大なスピーカーが間違いなく音楽室であることを示している。
2台あるグランドピアノの右手に一人の少女が立っている。子供らしからぬ淀んだ瞳。まるで虫けらを見るように僕たちを見下す態度。至近距離まで近づいて名札を確認するまでもなく、彼女が被疑者とがりえいこだ。
そして左手のグランドピアノには身を寄せ合って震えている子供たちがいる。人数は、ひぃふぅみぃ……7名。これで2年B組の生徒全員の生存を確認できたことになる。
「もっと近くに来なさいよ。……大丈夫。すぐに殺したりしないから」
悪い意味で年齢不相応な、粘り着くような悪意に満ちた笑みを浮かべる少女。無邪気さとは程遠い。邪気の塊のようだ。連続殺人鬼(シリアルキラー)・時任暗児と対峙したときと同様、背中におぞ気が走る。
とはいえ、相手は人質を取っている。目の前で7人の子供の身体が捻じ曲げられる光景なんか絶対に見たくない。言われるがまま、僕たちは被疑者とがりえいこに近づくしかなかった。
この子はもはや人間ではない。小さな怪物だ。
そう自分に言い聞かせ、気を引き締めながら距離を詰める。
僕の歩みに合わせて隣で歩いているアルペジオの表情は至って穏やかだ。ただ、その瞳は深い悲しみの色を湛えている。この小さな怪物の境遇に同情しているのだろうか。それとも――
「あなたたち魔法警察でしょ? 私を逮捕するの」
「……できることならね」
そう。できることなら大人しく逮捕されてほしい。
いくら怪物でも子供は子供。いくら法で認められているとはいえ、いくら同僚を殺した相手とはいえ、処分したくはない。
だが、そんな僕の心境などお構いなしに、小さな怪物が邪気いっぱいの笑みで無邪気に話しかけてくる。
「私を逮捕するなんて無理よ。だって、私は無敵の魔法使いなんだから。大人たちは魔法や魔法使いを悪く言うけど、あれは無能な大人たちのひがみだったのね。実際に魔法使いになってみたら、もう最っ高の気分! 魔法を使うのって超ぉ~気持ちいいんだから!」
子供らしいたどたどしさと、他人の生殺与奪を握ることの万能感に酔いしれた人間の狂気。その瞳は僕たちを見ているようで、どこか遠くを見ているようにも見える。果たして、彼女の心は今いずこにあるのか。
「先生のことは嫌いじゃなかったけど、ちょっと熱血なところがあってさ。うっかりウサギ小屋で魔法を試していたところを見られちゃって……そしたら警察に行こうって言いだすのよ? 先生も一緒に行くからって泣きながら言うの。あー、ホントうざかった。私が魔法を使えることを秘密にしてくれるならわかるけど、なんで警察に突き出そうとするかなー?」
「だから殺した?」
「うん。授業中にみんなの前で、えいっ!てね。だって、放課後には本気で警察に駆け込みそうな勢いだったんだもん。仕方ないでしょ。やられる前にやんなきゃ」
ニッコリ笑う表情は、小学二年生のそれだった。
罪悪感がまるでない。やはりこの子は怪物だ。
「……なぜ本城まで殺した?」
僕の指示があるのをじっと我慢していたローリングサンダーがこらえきれずに声を絞り出す。
「ほんじょう? 誰それ?」
「てめえが殺したアタイの相棒だよ!!」
「ああ。あの男の人? あの人もうざかったよねー。私のこと、可哀そうなんて言うんだよ? はぁ?って感じ。私のこと何にも知らないくせに、勝手に同情しちゃって。ああいうやつが一番ムカつく。だから殺したの。うふふ。あ、ごめん。もしかして、あの人、お姉さんの恋人だった?」
小さな怪物は両手を合わせて謝るポーズを取るが、どう見ても謝罪の気持ちは1ミリも感じられない。
「てめえ、このクソガキゃ~……。その腐った根性、たたき直してやる!!!!」
「いいのー? こっちには人質がいるんだけど。ここで派手に魔法を使ったりしたら、巻き添えになって死んじゃうかもしれないわよ?」
人質の有効性を十二分に理解したうえで挑発してくる。ローリングサンダーも人質の安全を損なうわけにはいかないことはわかっているので歯ぎしりをしながらも、かろうじて自分を抑えている。
「捜査官から管制官に連絡。魔法使いアルペジオの魔法使用制限の上方修正を申請します」
僕はオラクルを片手に、しかし片時も小さな怪物からは目を逸らさずに管制官に上申する。
「却下よ」
アルペジオはLV100を超える魔法使いだ。その限界は僕も知らない。LV100とは言わないまでも高レベルの魔法を駆使すれば、人質の安全を確保しつつ、瞬時に目の前の小さな怪物を捕えることだって可能だ。
僕の意図は管制官だって正しく理解しているはず。それなのに、あっさりと却下された。
「人質の安全を……姪御さんを助けるためには必要な措置です」
こんな言い方は卑怯だと自分でもわかっているが、言わずにはいられない。
「却下。姪のことは任務とは関係ない。二度と口にしないで。あなたは被疑者確保に全力を尽くしなさい。いいわね?」
管制官ならそう言うだろうと予想していたが、残念ながら予想は的中。
全力を尽くせと仰せだが、全力を尽くしたくても尽くせない。なにせ魔法使用制限をLV20と定められているのだから。全力を尽くせと言うのなら、魔法使用制限なんて取っ払ってほしいものだ。
「きゃははははは! 警察って無能ねー。あの人の言った通りだわ」
……ちょっと待て。
あの人?
あの人って誰だ。
「私は選ばれた人間なのよ。だから何をやってもいい。あの人がそう言ってたもん。何人殺しても捕まったりしない。あの人が逃がしてくれるって言ったもの」
だから、あの人って誰なんだよ。
この子は偶然、図書室で魔導書(グリモワール)を発見して強制覚醒したのではなかったのか。
だが、この狂ったような笑みを浮かべている小さな怪物の口ぶりからは、明確に第三者の介入が伺える。予想外の言葉が飛び出してきたおかげで頭が混乱する。思考停止に陥りそうだ。
「さて、と。どうやって殺そっかなぁ~……?」