サマータイムモンスターズ
横田 純
060
8月24日:バック・トゥ・ザ・バトルフィールド
「イッチ!!!」
聞き覚えのある声が響いた。
振り返ると、蝉丸がそこに立っていた。
「蝉丸……!」
魔獣は突然現れた新たな人間を警戒したのか、触手を止め、自分の体に戻した。
無数の目でぎょろぎょろと、こちらの様子を|窺《うかが》っている。
「ごめん!」
もう一度、蝉丸は大きな声で叫んだ。
「やっぱり僕も最後まで戦う! ここで逃げたら一生後悔するから!」
蝉丸は僕の隣に駆け寄ってきて、魔獣を|睨《にら》みつけた。
「あいつを倒す方法、思いついたかもしれない」
僕は蝉丸の顔を見つめた。
「あいつの能力は『|Null《ヌル》』──存在を無効化する力。でも、これ正確にはちょっと違うんだ。データベースで言うと、Nullって『値が入ってない状態』なんだよ。箱はあるのに中身がない、みたいな。中身がゼロとは別の概念なんだ」
「つまり……?」
「食べられたものは、あいつの中に『ある』んだ」
僕は息を呑んだ。
「だとしたら……あいつの中で、みんなは生きてる……?」
「簡単に言えば、そういうことだね」
魔獣と睨み合いながら、僕らは言葉を交わした。
魔獣は蝉丸をだいぶ警戒しているようだ。
門の形状を保ったまま、ただそこに佇んでいる。
蝉丸は泣きじゃくる苗ちゃんをかばうように立ち、魔獣を見据えた。
「みんなを助け出す装置を作ってきた」
蝉丸がリュックから取り出したのは、手のひらに収まるくらいの金属の箱──
中央には、漆黒に光る魔石が埋め込まれていた。
「名づけて、『|逆流転送装置《リバース・トランスポーター》』。魔石の力を使って、物体の位置情報を書き換える──もともとは|移動装置《ワープポータル》を作れないかと思って温めてた|発想《アイデア》なんだ。これを使えば、あいつの中にあるものを外に出せるかもしれない」
蝉丸のプランはこうだ。
Nullにされたみんなの位置情報に新たな値を代入し、魔獣の外に強制転送する。
つまり、喰われたみんなを|吐き出させる《・・・・・・》ということだ。
「……本当にできるのか?」
「やってみないとわからない」
蝉丸は正直に答えた。
「試す価値はあると思う。でも、ひとつ問題がある」
「問題?」
「この装置は、あいつの中で発動しないと意味がないんだ」
「中って……」
「これを使う人は、わざとあいつに喰われないといけない」
それが何を意味するのかは、僕にも想像がついた。
魔獣に喰われた後どうなるのか、確かなことはわからない。
仮に自分の体やこの装置も霧みたいに消えてしまうなら、この作戦は終わり。
誰も救えずにゲームオーバーだ。
蝉丸曰く、この装置は手に持って集中すれば発動する。
アリサの使うコントローラー、"|STGの星《シューティング・スター》"と同じだ。
手に持って集中する──喰われた後で、そんなことが可能なのか?
「僕が行く」
蝉丸が言った。
「この装置は、できるだけ魔物の核の近くで発動させたいんだ。核は魔物の能力の源泉──あいつの核を狂わせるためには、近ければ近いほどいい」
蝉丸の作戦は、すべて未検証の仮説に基づいている。
喰われた後も正気を保っていられるのか?
装置は正常に稼働するのか?
そもそも魔獣の中にみんながいるって説は正しいのか?
何もかも、一度喰われないとわからない。
蝉丸は、そこに自分の命を賭けようとしていた。
「大丈夫。たぶんうまくいく。うまくいけば、僕もみんなと一緒に外に出てこられるはずだから」
蝉丸は無理やり笑顔を作った。
「それに、僕がここに来たのは、みんなを助けるためだから」
僕は蝉丸の肩を|掴《つか》んだ。
「蝉丸はここにいてくれ。行くのは僕だ」
「え……?」
「仮に失敗した時、僕と苗ちゃんだけ残っても何もできない。可能性があるとしたら蝉丸だけなんだ。今だって、僕にはできない方法で、この状況を変えられるかもしれない策を授けてくれた」
「イッチ……」
「装置を渡してくれ」
僕が伸ばした手を見て、蝉丸は少し|躊躇《ためら》った。
時間がない。蝉丸は意を決して言った。
「ごめん……たぶんうまくいくって言ったけど、本当は成功するかわからないんだ。全部僕の仮説だし、その装置だってちゃんと動くかどうか……」
「大丈夫だよ。だってこれは、お前が作ったんだから」
「!!」
「──ありがとう。戻ってきてくれて。これで最後まで戦える」
蝉丸は何かを言いかけて、結局何も言わなかった。
ただ一度、強く|頷《うなず》いた。
黒い霧が僕らの近くまで広がっている。
僕は蝉丸から装置を受け取り、魔獣に向かって走り出した。
すぐさま黒い触手が殺到する。
足が消える感覚。腕が消える感覚。
体が少しずつ消えていく。
蝉丸が僕の名前を呼んでいる。
大丈夫だ。
絶対に成功させる。
僕は地面を強く蹴って、門に飛び込んだ。
瞬間、目の前が真っ黒に染まった。
|歪《ひず》んだ音。フリーフォールで落ち続ける感覚。
気を張っていなければ、すぐにでも意識を失いそうだ。
体がぐるぐると回転して、上も下もわからなくなった。
相変わらず視界は真っ黒なまま。
星のない宇宙、という言葉が頭に浮かんだ。
右手に握った装置は、まだある。
蝉丸の声は、もう聞こえない。
その中で、ひときわ輝く大きな光が見えた。
紫色に燃える太陽──
あれがきっと、魔獣の核だ。
「でかい……!」
視界いっぱいに紫の炎が踊る。
体の感覚は正常なのか、熱を感じる。
あたりを見渡しても、それ以外のものは何もない。
まさか、みんなあれに焼かれてしまったのか?
蝉丸の装置は、できるだけ核の近くで発動する必要がある。
あの太陽が核だとして、近づいて大丈夫なのか。
あれに触れた時こそが、本当に終わりなんじゃないのか?
「──考えるまでもないよな」
迷いはなかった。
やるべきことは、ひとつだ。
僕は泳ぐように、必死に手足をばたつかせた。
近づくにつれて熱が強まる。
喰われた時とは違う、焼き切られそうな痛みが全身を襲う。
頭の中にはみんなのことだけ。
後悔も恐怖もない。
吐き出せ! 何もかも!
「うおおおおおっ!!!」
僕は渾身の力で腕を伸ばし、装置を核に叩きつけた。
◆ ◆ ◆
突然、魔獣が村中に轟くような奇声を発した。
身をよじり、門の形状が崩れ、ガタガタと揺れ始める。
それを見て、蝉丸は確信した。
「イッチ……!」
魔獣は苦しそうに空中に浮かび上がりながら天を仰いだ。
次の瞬間、ボッという音と共に、門からさまざまなものが飛び出した。
岩、車、建物の破片──
飛び出した物体はすごいスピードで弧を描きながらどこかへ飛んでいく。
蝉丸はその中に、防衛隊の面々の姿を見た。
「──みんな!!!」
ローリー。
獅子上さん。
乙吉さん。
鞘さん。
フトシ。
フジキュー。
次春くん。
デコイさん。
湯水准教授。
アヅ。
シュレディンガー。
陽菜乃川さん。
暇坂さん。
縄代さん。
みんな無傷で公園に着地した。
成功だ。
「なんや!? どないなっとんねん!?」
ローリーがあたふたと自分の体を確認する。
他のメンバーも状況を掴めていない様子だった。
「みんな……よかった……」
苗は蝉丸の後ろで、安心して涙をこぼした。
「うお!? 蝉丸おるやん! お前遅いわ! 何しとんねん!!」
「すいません……!! でも話は後です! まだ終わってない!!」
蝉丸が上空を指さす。
魔獣が身をよじり、細かく震えながら悶え苦しんでいる。
喰べたものの大半を吐ききったのか、門からはもう何も出てこない。
どうして出てこないんだ?
イッチがまだ戻ってきてないのに!!
「みなさん聞いてください! イッチはみんなを助けるために、わざとあいつに喰われたんです! もう同じ手は使えない……! でも、イッチを助けないと……!!」
我を失いかけた蝉丸の肩に、獅子上がぽんと手を置いた。
「わかった。任せてくれ」
「獅子上さん……」
「この状況を見れば、お前と隊長が何をしてくれたのかわかる。今度は俺たちの番だ」