サマータイムモンスターズ
横田 純
063
るしへる
ソクラテスに連れられて、僕らはスケキヨ岩の前にやってきた。
高さ約20メートル。
巨大な人間の下半身が地面に突き刺さっているような岩。
月明かりに照らされた岩を、ソクラテスは静かに見上げた。
「あの……」
蝉丸が恐る恐る口を開いた。
「ソクラテスさんは、魔物が見えるんですか?」
「ああ」
そう言って、ソクラテスは懐から何かを取り出した。
ローリーが持つ紫黒色の石と同じように丹念に磨かれた、|深碧《しんぺき》の石──
「それ……!」
ローリーが目を見開いた。
「そうだ。|戎橋《えびすばし》|路暖《ろだん》から授かった」
ソクラテスは親指と人差し指で石をつまみ上げるように、目の前で|掲《かか》げた。
「この魔石のチカラによって、俺は魔物の姿を視認できる。お前ら風に言うなら……『|隠者の千里眼《インビジブル・アイ》』といったところか」
アリサが|眉《まゆ》をひそめた。
「魔物が見えるなら、早く出てきて協力してくれればよかったのに……」
「そしたらお前ら、俺の話聞いたか? きっと俺のことなんか相手にもしなかっただろ」
「それは……わかんないけど……」
「人から言われてやるんじゃダメだ。それじゃ本気になれない」
ソクラテスは僕らを見回した。
「お前らの誰かが一人でも危機に感づいて、自分の力で動き出さなけりゃ、きっとうまくいかない。だから俺は待っていた。お前らがあの資料館を自分たちで調べ始めるのをな」
あの日、僕らは村の歴史を調べるために資料館に行った。
観光マップから消された忘れられた場所。
そこで見つけた古書――『|The《ザ・》 |Summertime《サマータイム・》 |Monsters《モンスターズ》』。
「あの本に和訳を書き込んだのは俺だ。お前らがあの本を見つけて、真実に近づこうとしていると知った時、俺は思った。こいつらになら話せるかもしれない、と」
ソクラテスは小さく|頷《うなず》いた。
それから、少し間を置いて言った。
「だから、ありがとうよ」
全員が黙り込んだ。
ソクラテスはずっと僕らを見ていたのか。
僕らが自分の力で動き出すのを、待っていてくれたのか。
「本題に入るぞ」
ソクラテスはスケキヨ岩の方を向いた。
「こいつは100年前にこの村を守ってくれた守り神だ。俺はこいつを『るしへる』と呼んでいる」
るしへるは100年前、魔物が現れたゲートと同じ場所から現れた。
だが、他の魔物とはまるで違っていた。
他の魔物は闇をまとっていたが、るしへるは光り輝いていた。
だから『光の魔神』と呼ばれた。
ソクラテスは当時11歳。
魔物の大群に追い詰められ、もうダメだと思った時、るしへるが現れた。
「敵じゃなかったんですか? 同じ場所から出てきたのに」
次春が聞いた。
「俺たちも最初はそう思った。だが、るしへるは魔物の群れを薙ぎ払い始めた。まるで、俺たちを守るかのように」
ソクラテスはスケキヨ岩を見上げた。
「正体はわからん。言葉を交わしたわけでもない。だが、こいつが俺たちを救ってくれたのは事実だ。俺は……るしへるは『良い魔物』だと思っている」
「良い魔物……」
苗が|呟《つぶや》いた。
その腕の中で、シュレディンガーが「ニャア」と鳴いた。
「るしへるは魔物の群れを一掃し、城を封じ込めた。だが、その戦いで力を使い果たした」
ソクラテスは岩に手を触れた。
「最後に俺の方を見て……そのまま石になった。それから100年。俺はるしへるを見守ってきた」
だからソクラテスは、毎日この岩を拝んでいたのか。
村人から変わり者扱いされながらも、100年間ずっと。
「じゃあ、るしへるを目覚めさせれば、また魔物を倒せるんですか?」
アリサが聞いた。
「そうだ」
ソクラテスは|頷《うなず》いた。
「こいつは次の戦いのために力を貯めている。だが、強くなるにはお前らの力が必要だ」
「僕らの……力?」
蝉丸が首を|傾《かし》げた。
「るしへるの力の源は光だ」
ソクラテスは空を見上げた。
「異界には存在しない光の源――太陽を浴びて生きるお前たちの力が、るしへるを強くする」
僕らがこの夏、魔物を倒して集めてきた魔石。身につけた技。鍛えた体。
そのすべてが、るしへるの力になる。
「戦闘が始まったら、るしへるに向けて両手を掲げろ。るしへるの動力源はお前らの生命力だ」
全員が顔を見合わせた。
乙吉が手のひらに視線を落としながら、ぽつりと言った。
「元気玉的なことか?」
「なんだ、元気玉とは」
「いや、なんでもないっす! 手ぇ掲げればいいんすよね!」
「そうだ」
ソクラテスにはわからなかったようだが、僕らにはだいたいわかった。
僕らがやってきたことは、無駄じゃなかった。
この夏、必死に戦ってきたことが、最終決戦の鍵になる。
「時間はあまりない」
ソクラテスは空を見上げた。
魔王城が、ゆっくりと村に近づいてくる。
巨大な脚で、地面を踏みしめながら。
「あれが襲ってくるのは8月31日だ。それまでにお前らは強くならなければならん。力をつけて時を待て」
「わかりました。やれることは全部やります」
僕の返事に、みんなも力強く頷いた。
それを見て、ソクラテスはわずかに口元を緩めた。
「……頼もしいな」
それは、100年間孤独に戦い続けてきた老人の安堵の表情に見えた。
だが、ソクラテスはすぐに真剣な表情に戻り、静かに告げた。
「もうひとつ、話しておくことがある」
その声だけ、温度が違った。
「『うろぼろす』のことだ」