サマータイムモンスターズ
横田 純
066
夏の終わりは君と二人で
8月29日の昼下がり。
喫茶『ヤングマン』には、いつものように自治会のメンバーが集まっていた。
壁に貼られた色褪せた昭和アイドルのポスターが、今日も静かに微笑んでいる。
|和寿真《かずま》は端の席でアイスコーヒーを啜りながら、会合の様子を眺めていた。
「で、結局あれはなんだったんだ?」
自治会長の|甚八《じんぱち》が、腕を組みながら言った。
真っ白な髪をオールバックにした姿は、いつもと変わらない。
「あれって、あの……巨人のことですか?」
村長の|雲部《くもべ》が恐る恐る聞き返す。
村祭の日から2週間以上経つのに、村長の顔色はまだ優れなかった。
「わかりません……私にはさっぱり……」
村長は額の汗をハンカチで拭いながら、深いため息をついた。
8月14日の村祭。
あの日、村でくり広げられたゴーレムとガーディアンの戦闘は、テレビクルーや観光客のスマホに収められ、世界中に発信された。
しかし、いったいあれは何だったのか、説明できる者は自治会の中に一人もいなかった。
「あれはうちの村の出し物だ。だから何の問題もねぇ」
甚八が胸を張って言った。
「問題だらけですよ!」
村長が珍しく声を荒げた。
「あんな巨大な……なんですか、あれは。ロボット? CG? どこから現れて、誰が動かしてたんですか? 何も説明できないじゃないですか!」
「だから出し物だって言ったろ」
「説明になってません!」
「細けぇことはいいんだよ!」
「おい。テメェ、村長イジメてんじゃねぇよ」
カウンターの奥から、ドスの効いた声が響いた。
喫茶店のマスター・ローラだ。
派手にパーマをかけた紫髪に真っ赤な口紅。パンチの効いた見た目はこちらも相変わらずだった。
「イジメてねぇよ! 事実を言ってるだけだ!」
「事実? テメェがカメラの前でテンパって『すごいだろ』しか言えなかったあれのことかい?」
「テンパってねぇ! 堂々としてたんだ!」
ローラが鼻で笑う。
甚八の顔が赤くなった。
「クソが! やんのかテメェ」
二人がガンを飛ばしながら接近する。
自治会のメンバーは「また始まった」という顔でコーヒーを口に運んでいる。
和寿真も慣れたもので、溶けた氷をストローでちびちび吸いながら成り行きを見守った。
「まあまあ、お二人とも」
アンナが間に入って、甚八とローラを引き離した。
「それより、テレビ放送の後どうなったか、皆さんに報告した方がいいんじゃないですか?」
アンナの言葉に、甚八とローラはぶつくさ文句を言いながら席に戻った。
「そうだな。報告するか」
甚八は咳払いをして、全員に向き直った。
「あの放送の後、役場に問い合わせが殺到した。『あの巨人は何ですか』『どうやって作ったんですか』『来年も見られますか』──問い合わせの9割がこれだ」
「来年も見られますか……!?」
村長の顔から、また汗が吹き出した。
「みんな面白がってやがる。よくわかんねぇが、動画サイトってやつでも『夏摩村の巨人バトル』だとか話題を呼んで大人気だそうだ」
村長は信じられないという顔をしている。
甚八は上機嫌で続けた。
「こりゃあ観光客が増えるぞ。そうなりゃ村の収入が増えて店も潤う。いいことずくめじゃねぇか」
「でも、来年どうするんですか」
村長が弱々しく言った。
「来年も巨人が出るとは限らないでしょう? といいますか、出てほしくないんですが……」
「出なかったら出なかったでいいだろ。『今年は巨人の機嫌が悪かった』とでも言っとけ」
「そんな適当な!」
「適当じゃねぇ! 臨機応変だ!!」
甚八が立ち上がり、全員に向かって宣言した。
「決まりだ。あの巨人は村の出し物。来年も同じ説明で通す。異論は認めねえ」
村長は深いため息をついて、頭を抱えた。
和寿真は考える。
あの日、和寿真は村祭運営本部のテントに陣取り、現場監督をしていた。
様々な問題を想定して安全対策を行っていたが、さすがに巨人など想定外。
怪我人が一人も出なかったのは奇跡としか言いようがない。
あの巨人が来年も現れたとして、その時はどうすればいい?
今年、現場監督をやってしまったから、来年も引き続き頼まれる可能性は高い。
そうしたら、安全対策をするのはきっと自分になるだろう。
とんでもないことになったな……と思いながら、和寿真も深いため息をついた。
会合が終わり、自治会のメンバーが三々五々帰っていく。
和寿真はカウンター席に移動して、アンナの淹れたコーヒーを飲んでいた。
「お疲れ様でした、ガジュマさん」
アンナが微笑みながら言った。
「今日の会合、面白かったですね」
「面白い……んですかね」
和寿真は苦笑した。
「甚八さんと村長さん、毎回あんな感じですよね」
「そうなんですよ。でも、なんだかんだでうまくいってるから不思議です」
「それはやっぱり、ローラさんがいるからじゃないですか」
「ああ。そうかもしれないですね」
和寿真が顔を上げると、ローラはもういなかった。
店の奥に引っ込んでしまったらしい。
いつの間にか、店内には和寿真とアンナだけになっていた。
夕方の光が窓から差し込んで、アンナの赤い髪を柔らかく照らしている。
「アンナさん」
「はい?」
「もうすぐ夏が終わりますね」
アンナは少し驚いたような顔をして、それから微笑んだ。
「そうですね。明後日で8月も終わりです」
8月8日の夜。
皆本商店の軒先で、和寿真はアンナにデートを申し込んだ。
──この夏いっぱいは毎日お店を開けようと思ってるんです。
──じゃあ、夏が終わったら。
あの時、アンナはにこっと笑ってくれた。
あれから3週間。和寿真はずっと、その約束を胸に抱えていた。
「9月1日になったら……」
和寿真は意を決して言った。
「夏が終わったって言っていいですかね?」
アンナは一瞬きょとんとして、それから笑った。
「はい。9月1日になったら、夏は終わりですね」
「じゃあ、その時に……また、お誘いしてもいいですか」
アンナは静かに|頷《うなず》いた。
「楽しみにしてます」
和寿真の心が、ふわりと軽くなった。
この夏は本当にいろいろなことがあった。
でも、悪いことばかりじゃなかったと思う。
アンナが言っていた。
余白があった方がいい。そこに好きなものを詰め込んでいいと。
俺の余白は、少しずつ埋まっている。
この村の人たち。子どもたち。
そして──アンナ。
「そういえば、小説は進んでますか?」
和寿真が聞くと、アンナは少し照れたように笑った。
「ぼちぼちですね。ペンで書くのは時間がかかって」
前に二人きりで話した時、小説を書くのが趣味だと教えてくれた。
アナログ派で、ペンで原稿用紙に書くのが性に合う。なんて素敵な趣味だろう。
「完成したら読ませてくださいね。約束ですよ」
「はい。約束です」
窓の外では、夕焼けが山の稜線を染めていた。
蝉の声が少し弱まり、代わりに秋の虫の音が聞こえ始めている。
夏が終わる。
和寿真は、その日を楽しみにしていた。