サマータイムモンスターズ
横田 純
075
もう泣いてもいいはずだ
遠くで、誰かが僕の名前を呼んでいる気がした。
声は霧の向こうにあるみたいに、はっきりしない。
瀬凪の声だったかもしれない。
蝉丸の声だったかもしれない。
気がつくと、僕は何もない場所に立っていた。
足元には地面があるはずなのに、感触がない。
ここだけ世界から切り離されたような、静けさに包まれていた。
視界はどこまでも白く、広く。
そんな中、目の前にひとつだけ――
夏摩村の風景が、|滲《にじ》むように浮かんでいた。
今の村じゃない。
もっと古い、木造の家々が並ぶ村。
見たことのない景色が、見覚えのある景色と、重なり合うように移ろっていく。
「よくやったじゃないか」
声がした。
振り返ると、そこに青年が立っていた。
家の仏間に飾られていた、あの写真と同じ顔。
――|神明《しんめい》|清始郎《きよしろう》。
「はじめまして、でいいのかな。それとも……何度も会ってる、と言うべきか」
清始郎は、少しおかしそうに笑った。
「俺はずっと君たちを見ていたからね」
「清始郎……さん」
僕は、喉の奥から絞り出すように声を出した。
「るしへるは……あなただったんですね」
「半分はね。ゲンが言っていただろう?」
「ゲン?」
「ああ、そうか。|前ヶ貫《まえがぬき》|現《げん》──君たちがソクラテスと呼んでいる、あいつだよ」
そう言われて初めて、僕はソクラテスの本名を知らなかったことに気がついた。
「俺はるしへると融合し、意志の一部が器として残った。だから今、君と話ができている」
清始郎は、僕の方へゆっくり歩み寄った。
「君はよくやった。大勢の仲間と共に、この夏を乗り越えた」
「でも……僕は」
「魔物になった」
責めるような声色ではなかった。
清始郎は穏やかに、ただ事実を述べている。
そして、まっすぐに僕の目を見て、続けた。
「一郎くん。君の力は、もう使えない」
静かな声だった。
「君は限界を超えて使い切った。もう君には何も残っていない」
「……知ってます」
「だが」
清始郎は、左手を軽く持ち上げた。
「俺に残った最後のひとかけらの力で、君を元に戻す」
「そんなこと……できるんですか」
「100年前、俺が使っていたのは、君と同じ能力だった」
清始郎は、懐かしむように目を細めた。
「うろぼろす──君もよく知っているだろう? 俺は村を守るために力を使い、最後はるしへると融合した。君と似たようなものだ。まったく、血は争えないな」
そうして、清始郎は|微《かす》かに笑った。
「おかげで100年、こうして村を眺めていられた。後悔はしていない。妻には大変な思いをさせて、申し訳ないと思っているけどね。ああ、それと──今日まで一日も欠かさずにお参りに来てくれた、現にもね」
ゆっくりと、噛みしめるように。
清始郎は言葉を紡いだ。
まるで、世界に別れを告げるように。
「清始郎さんは……どうなるんですか」
「どうって?」
「最後の力を使ったら、清始郎さんは──」
「消えてしまうだろうな」
その言葉は穏やかに、僕の胸を突き刺した。
「|此度《こたび》の戦いで、るしへるは完全に消えてしまった。もう俺の居場所はない。今君と話しているこの場所も、俺の力によるもの──跡形もなく消えてしまうだろう」
「そんな……」
僕がるしへるをもっとうまく扱えていれば。
るしへるがスケキヨ岩として残っていれば。
「気にすることはない。君はやるべきことをやった。胸を張って帰るべきなんだ」
やさしい顔だった。
初めて会ったのに、そんな気がしないのは、家で写真をずっと見ていたからか。
それとも、この人の雰囲気がそうさせるのか。
「現に伝えてくれ。100年間、本当にありがとうと」
そう言って、清始郎は左手を僕に伸ばした。
「君に敬意を表して。君の技の名前を借りるよ」
"|神の軌道修正《コントロール・ゼット》"
清始郎の体が、光の粒になって|解《ほど》けていく。
「清始郎さんっ!!」
崩れていく光の中で、清始郎は柔らかく笑った。
◆ ◆ ◆
「──ッチ! イッチ!!」
声が、はっきりと聞こえた。
|瞼《まぶた》を開けると夜空が見えた。
いつもの夏摩村の夜空だった。
「イッチ……!」
瀬凪が泣きながら、僕の顔を覗き込んでいた。
周りを見回す。
山肌も、田んぼも、何ひとつ壊れていない。
魔王城は、跡形もなく消えていた。
みんなが僕の周りにいる。
僕は上半身裸で、木陰に寝かされていた。
体の痣は消えていた。
「イッチ……よかった……」
瀬凪が僕を抱きしめた。
誰も何も語らなかった。
ただそこにいて、笑ってくれていることが、何よりの答えだった。
終わった。
終わったんだ。
そう思った途端、涙があふれた。
泣きたくないのに、止められなかった。
◆ 防衛隊は 魔王城を たおした!