サマータイムモンスターズ
横田 純
076
9月1日:ALL OVER THE WORLD
9月1日。
夏休みが終わった。
もう一度カレンダーを見る。
9月1日。
その先には、9月2日、3日、4日……
10月、11月、そして12月31日まで。
すべての日付が、あるべきところに表示されていた。
◆ ◆ ◆
朝7時30分。
いつもの公園に防衛隊のメンバーが集まった。
湯水准教授とデコイさんが今日この村を離れる。
その見送りのためだ。
「諸君、本当によくがんばってくれた」
湯水准教授が全員を見回しながら言った。
「正直に言おう。私は最初、君たちが勝てるとは思っていなかった。だが、君たちは私の予想を遥かに超えた。全員の力を合わせて、見事に勝利を収めた」
湯水は穏やかな笑みを浮かべていた。
「誇りに思う。君たちと一緒に戦えて、光栄だった」
「やっと終わったー……」
デコイさんが大きなため息をつきながら言った。
「イッチくんがデッカい魔物になっちゃった時は俺マジ終わったと思ったけど、ホントによかった……これでやっとバイト代がもらえるよ。日給3万、何日働いたっけ……えーと……」
デコイさんは指を折りながら計算を始めた。
「7月19日から8月31日までで44日。ってことは……132万!?」
デコイさんの目がキラキラと輝く。
その時、湯水准教授が何でもないことのように言った。
「ああ、それなんだがな。戦闘のために村に設置した100台以上のカメラと、全員に持たせたスマートウォッチ。あれ、君の給料から引いといたから」
「……はい?」
デコイさんの動きが止まった。
「な、なんで俺の給料から引くんすか!? 関係ないでしょ!?」
「関係ないだと? あれがなかったら勝てたかわからんのだぞ」
「いやいやいや! それとこれとは別じゃないすか!?」
「君は一切戦わなかったよな? 君が助かったのはこの子たちのおかげなんだぞ? 年上のお兄さんとして太っ腹なところを見せたいと思わんのか?」
「いや思わないっす!! きたないっすよ!!」
デコイさんが半泣きで叫んだ。
さすがにデコイさんが気の毒になってきた。
「あの……デコイさん、もしよかったら僕のお小遣いあげますから……」
蝉丸がおずおずと財布を取り出した。
「それなら俺も」
獅子上がポケットから小銭を出す。
「私も少しなら」
鞘も財布を開いた。
「俺も出すぜ!」
乙吉が千円札を握りしめる。
アヅも、瀬凪も、ホタルも、アリサも。
次春、フトシ、フジキューまで。
全員がデコイさんにカンパを渡そうとし始めた。
「いや……あの……」
デコイさんは、みんなの手を押し返した。
「これは受け取れないっす!! がんばったのは皆さんなんで!!」
デコイさんは必死に首を横に振った。
それを見て、湯水准教授は声を上げて笑った。
「安心しろ、デコイくん。さっきのは冗談だよ」
「冗談って……?」
「君は本当によく働いてくれた。その分の報酬はきちんと渡す」
「マジっすか?」
「マジだ」
デコイさんは、へなへなとその場にしゃがみ込んだ。
「よかったですねデコイさん!!」
防衛隊の面々が口々にデコイさんを祝福する。
「ナァオ」
「シュレディンガーも、よかったねって」
苗もデコイに近寄って、にこっと笑った。
「そういえば、シュレディンガーはまだいるね」
次春がふと気づいたように言った。
「魔物を生んでた魔王城を倒しちゃったわけだから、もしかしたら魔力みたいなものが失われて、シュレディンガーも消えちゃうんじゃないかって思ってたけど……そういうわけじゃないんだね。よかったよ」
シュレディンガーは苗に抱かれて手足をだらんと伸ばしている。
猫としか言いようがない。愛らしい姿をみんなに晒していた。
獅子上がシュレディンガーを撫でる。
シュレディンガーは目を閉じて、うれしそうに喉を鳴らした。
「こいつは今まで通り俺が面倒を見る。苗と一緒にな」
「うん!」
そう言って、苗は元気よく|頷《うなず》いた。
湯水准教授が、僕の前に来た。
「イッチくん」
「はい」
「本当によくがんばってくれた。君がいなければ、この勝利はなかった」
湯水准教授は、僕の肩に手を置いて、
「君が生きててよかったよ」
「……ありがとうございます」
僕は頭を下げた。
湯水准教授には本当にお世話になった。
この人がいなければ、僕らは何もできなかっただろう。
「じゃあな諸君! 達者でな」
湯水准教授は手を振って、ランクルに乗り込んだ。
デコイさんも「またっす!」と叫びながら助手席に飛び乗る。
エンジン音が響いて、車が走り出す。
僕らは、その姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
そして、湯水准教授たちを見送った後、僕らはまだそこに残っているローリーに気づいた。
「お前、どうすんだ?」
獅子上が尋ねた。
「ワイも帰るわ」
ローリーはそう言ってから、少し間を置いて続けた。
「せやけど、またすぐ戻ってこよかと思てる」
「どういうことだ?」
鞘が首を傾げた。
「ワイ、ここの高校に転校しよかなと思てんねん」
全員が驚いた。
ローリーは照れくさそうに頭を掻きながら、
「なんか愛着わいてしもてな。この村も、みんなも。せやから、ワイも仲間に入れてくれへん?」
「だったら俺の高校に来い!」
乙吉が、ものすごい勢いで食いついた。
獅子上と鞘は同じ高校だが、乙吉だけは別の高校に通っている。
獅子上とケンカするために、わざと違う高校を選んだらしい。
でも本当は、一人だけ別の学校で寂しかったのかもしれない。
「乙兄と同じ高校かぁ」
ローリーは少し考えてから、にっと笑った。
「悪ないなぁ」
「よっしゃ決まりだ! 手続きとかあったら俺も手伝うからよ!」
「おおきに!」
二人は拳をぶつけ合った。
相当意気投合している様子だった。
「ま、とにかくいったん帰らなアカンから」
ローリーは荷物を持ち上げた。
「ワイもそろそろ行くわ! みんな、ホンマにありがとうな!」
「ローリーさん、また会えるの楽しみにしてます!」
蝉丸が言った。
「おう! ほなな!」
ローリーは手を振りながら、歩いていった。
◆ ◆ ◆
始業式に向かう前、僕は少しだけ回り道をして、スケキヨ岩があった場所に立ち寄った。
すべてが元に戻った世界で、スケキヨ岩だけはそこになかった。
地面が|抉《えぐ》れて、大きな穴が空いていた。
穴の脇に、ソクラテス――
|現《げん》さんが立っていた。
目を閉じて、穴に向かって手を合わせている。
「現さん」
僕は初めて、そう呼んでみた。
現さんはぴくりと肩を震わせて、目を開けてこちらを見た。
「お前か。その名前で呼ばれたのは何年ぶりだろうな」
「……清始郎さんが、ありがとうって」
僕がそう伝えると、現さんはふっと笑った。
「そうか」
短い返事だった。
でも、それで十分だった。
現さんは、もう一度、スケキヨ岩のあった穴に向かって深く頭を下げた。
◆ ◆ ◆
そして、始業式。
体育館に全校生徒が集まって、校長先生の長い話を聞く。
いつもと変わらない退屈な時間。
でも、今日はなんだか違って感じた。
「今年の夏はどうでしたか?」
教室に戻ってから、担任の先生が言った。
「夏休み、みんな無事で過ごせたようで何よりです。事故や怪我がなくて、先生も安心しました」
僕は、心の中で苦笑した。
僕らの夏は、無事とは程遠かった。
魔物と戦った。
仲間が傷ついた。
僕自身も、何度も死にかけた。
でも──
そんなに悪くなかったな、と思う。
◆ ◆ ◆
放課後。
校門のところに、瀬凪が立っていた。
「イッチ。ちょっといい?」
僕らは校舎の裏手にある木陰に移動した。
人目につかない静かな場所。
いつだか、僕がクワを振り回して特訓をした──あの場所だ。
「あのさ」
瀬凪が僕の目を見て言った。
「私、返事してなかったよね」
「返事?」
「8月31日。イッチが私に言ってくれたこと」
魔王城との最終決戦の直前、僕は瀬凪に想いを伝えた。
確かに返事はもらっていなかった。
瀬凪は、すっと手を伸ばした。
僕の前に小さな手のひらが差し出される。
「よろしくお願いします」
瀬凪はまっすぐに僕を見つめていた。
頬が赤い。
少し緊張しているようだった。
夏休み前の僕ならここで目を逸らしていただろう。
でも今は、もう逸らさない。
僕は瀬凪の目をまっすぐ見つめて、その手を取った。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
瀬凪の顔が、ぱあっと明るくなった。
僕らは手を繋いだまま歩き出した。
校門を抜けて、坂道を下りる。
田んぼのあぜ道を通り抜けていく。
空は青く晴れ渡っている。
白い雲がゆっくりと流れていく。
風が気持ちいい。
「ねえイッチ、走ろっか」
瀬凪がいたずらっぽく笑った。
「いいよ」
僕らは手を繋いだまま走り出した。
青空の下を、二人で駆けていく。
風を切って。
光の中を。
夏は終わった。
でも、僕らの物語は続いていく。
◆ ◆ ◆
同じ頃。
皆本和寿真は白いバラの花束を抱えて、商店街を歩いていた。
喫茶『ヤングマン』の前に立ち、深呼吸する。
今日こそ想いを伝えよう。
和寿真は、そう決めていた。
カランコロンカラン。
意を決して扉を開けると、店内には誰もいなかった。
「あれ……?」
ややあって、カウンターの奥から、マスターのローラが顔を出した。
「アンナならいないよ」
「そうですか」
気合いを入れて訪ねてきただけに、少し残念だ。
「どちらへ行かれたんですか?」
「さあね。すぐ戻るんじゃないかい。全部やりっ放しでどっか行っちまったから」
そう言って、ローラは店の奥のテーブルを|顎《あご》で示した。
そこには筆記具と、原稿用紙が散らばっていた。
「店を閉めた後、あの子はいつもそこで書き物をしてたんだよ。店を開けるまでには片づけておけって言っておいたのに、今日あたしが起きたらこの有り様だよ。何しに行ったのか知らないけど、帰ってきたら承知しないよ」
それを聞いて、和寿真は、アンナがもう帰ってこないような気がした。
テーブルに歩み寄り、書きかけの原稿用紙を手に取る。
『K.G.』とサインされた原稿用紙は、まっさらな余白で埋め尽くされていた。