ビューワー設定

文字サイズ

フォント

背景色

組み方向

目次

エトランジュ オーヴァーロード ~反省しない悪役令嬢、地獄に堕ちて華麗なるハッピーライフ無双~

喜多山 浪漫

episode32

小休止:悪役令嬢、地獄でグルメ紀行。《麻婆豆腐編》

 ワルサンドロス商会での戦いの決着を見た後、突如気を失ってしまったワタクシが目を覚ましたのは翌日の夕暮れのことだった。

 あとでわかったことだがワルサンドロス商会の医務室に運ばれてから一日以上意識を取り戻さなかったワタクシを、寝ずの番の付きっ切りで看病してくれたのは他ならぬスイーティアだった。マジ天使。


 自分の身に何が起こったのかは、まったくわからない。こんなことは初めてのことだ。

 混乱する頭を整理しようとするが、どうにもうまくいかない。


「きっとお疲れが出たのでしょう。今はとにかく、ゆっくりご静養ください。ヒャッハーちゃんが消化に良くて栄養のある食事を用意してくれるそうですよ」


 微笑むスイーティアには癒されるものの、最後の一言が引っかかる。

 ヒャッハーが食事を用意? 

 嫌な予感しかない。まさかとは思うけど……。


「あ~! ご主人様、目が覚めたんだね。よかった~。このまま目を覚まさなかったら、どうしようかと思って心配してたんだよ~?」


 ヒャッハーが無邪気な笑顔を投げかけてくる。その表情から噓偽りなく心配してくれていたことがわかる。そんな家来が用意してくれる食事について一瞬でも疑うだなんて申し訳ないことをした。


「はい、ご主人様。これを食べて、早く元気になってね♪」


 どんと目の前に置かれた小鍋の中で、四角くて白い固形物がふるふると震えている。スイーツに例えるならババロアのようだ。

 それはいい。それはいいとして問題はその白い固形物の周りに注がれている真っ赤なドロリした液体だ。ぐつぐつと噴火直前のマグマのように沸き立っている。


「これは麻婆豆腐! 白くて四角いのはお豆腐で~、原料は大豆だから栄養満点だよ。柔らかいし、病気の人でも食べやすいのさ」


 えっへん。ちゃんとボク、体調の優れいないご主人様を気遣っているんです~、と言わんばかりにドヤ顔するヒャッハー。

 そこまではいい。そこまではいいとして肝心かなめの問題が解決していない。


「あの、ヒャッハー? この真っ赤なスープ上のものの正体を教えてくださるかしら?」


「よくぞ聞いてくれました~! これはね、ゴマ油で挽肉、ニンニク、ネギ、ニラ、しょうがを炒めてから鶏がらスープを投入。仕上げに片栗粉でとろみをつけたものだよ~」


「いやいや。そのレシピだと、こんなに真っ赤にならないでしょう」


「ご名答! さっすがご主人様だね」


 うん。正解したのに全然うれしくない。


「麻婆豆腐は麻辣豆腐とも言われていて~、『麻』はしびれる、『辣』は辛さを意味するんだよ~。『辣』はご主人様も大好きな毎度おなじみの唐辛子。だけど、麻婆豆腐の主役は『麻』なのさ。しびれる辛さ。だからスープにはアホみたいにいっぱいの唐辛子と、それに負けないぐらいアホみたいにいっぱいの山椒をブチ込んであるんだよ。えへへ~」


 えへへ~、じぇねえよ。アホはお前だ。

 やはりワタクシの嫌な予感は的中していた。こんな家来を一瞬でも信じるだなんて馬鹿だった。体調が優れいない人間に激辛料理を食べさせるって、どんな嫌がらせだ。


「食べたら、どんな病気も逃げていく! それがこの地獄の麻婆豆腐さ、ひゃっはー!!」


 だが、ヒャッハーの笑顔を見ると嫌がらせではないことがわかる。純粋に、本気で、ワタクシのことを心配して作ってくれたのだろう。その気持ちは大変ありがたい。ありがたいのだが、できることならその気持ちは激辛料理以外で表してほしかった。


「あの、お嬢様。ご気分が悪いようでしたら、ご無理をなさらずに。こんなときに激辛料理だなんて非常識にも程があるんですから」


「え~? メイドちゃんってば、ひど~い! 地獄の麻婆豆腐は死人だって生き返るって言われてるぐらいなのにぃ~」


 スイーティアに抗議の声を上げて、しょぼんとうつむくヒャッハー。

 多少体調が優れなかろうが、彼?彼女?の好意を無下にするわけにはいかない。

 ショック療法だと思って、覚悟を決めて一口でも食べてみよう。


「いただくわ」


 さすがにいきなりは恐ろしいので、まずはヒャッハーが「お豆腐」と呼んでいた白い固形物をスプーンですくい取り、口へ運ぶ。

 冷えたお豆腐は柔らかく、するりと喉を通る。優しい甘みが舌に残り、ほんのりと大豆の香りが鼻を抜けていく。なるほど、これは病人にも食べやすい。


 さて、問題はこの真っ赤なドロリとした液体だ。ひとたび覚悟を決めたからには何が何でもやり通す。それがワタクシ、エトランジュ・フォン・ローゼンブルク公爵令嬢。

 武士道とは死ぬことと見つけたり……。いざ出陣。


 スプーンですくった液体を口に入れた瞬間、まず熱さと強烈な辛さが舌を襲う。

 辛い。かなり辛い。

 けど、激辛料理はこれで三度目。経験値を積み、レベルアップしているワタクシには辛さに対する防御力と耐性が備わってい……る…………あれ???


 し、しびれる。何、これ? 舌がメチャクチャしびれる。

 これか。これがヒャッハーの言っていた『麻』とやらか。

 こうしている間にも、じんじんと舌はしびれる一方。そのしびれは舌だけでなく口内、喉、そして食道から胃へとつながってゆく。

 もはやワタクシの肉体は、ステータス:状態だ。


「ご主人様~。麻婆豆腐はお豆腐と一緒に食べるんだよ~」


 目下、ステータス異常に陥っているワタクシにどんな食べ方を勧めたところで無意味だと思うのだが、ここまで来たらもうヤケクソだ。毒を食らわば皿まで喰らって差し上げよう。

 今度はお豆腐に真っ赤なスープを絡めて食してみる。

 すると、どうしたことか。しびれと辛さがお豆腐の優しさのおかげでマイルドになり、ひと口目では感じ取る余裕がなかったスープの旨味がくっきりと浮かび上がってきたではないか。

 塩コショウで整えられた挽肉の力強い味。長時間丁寧に灰汁取りしながら、じっくりと煮込んだ鶏ガラのエキス。ニンニク、ネギ、ニラ、しょうがが醸し出す香味野菜の滋味。お豆腐という主演女優の存在感が名脇役たちをより一層輝かせている。

 そして、その土台となるは、もちろん麻と辣。唐辛子と山椒だ。怒涛のように押し寄せてくるしびれと辛さの競演にひと口目こそ戸惑いはしたものの、二口三口と口に運ぶたびにその魅力に引き寄せられ、今やスプーンが止まらない。

 どうやら麻婆豆腐には、ステータス:の効果まであるようだ。


「ふぅ……。ごちそうさま。なんだか元気が出てきましたわ。ありがとう、ヒャッハー」


 原因不明の意識喪失に、らしくもない不安を感じていたが、おかげで気分がすっきりした。

 わからないことは考えても仕方がない。どうしようもないことを憂いても意味がない。わからないこと、どうしようもないことは、ゴミ箱にポイして我が道を征くのみ。快適でスイーツな地獄でのハッピーライフを目指して、これからも思うがままに無双していけばいいのだ。


「スイーティア……。食後のデザートを……おねが…………」


 満腹になったせいか、強烈な眠気に襲われたワタクシはそのまま吸い込まれるように再びベッドへ倒れ込んだ。

 スイーツを食べずに食事を終えるなんて前代未聞の不覚。

 かくなるうえは、せめて夢の中でスイーツを味わうとしよう。




【地獄の麻婆豆腐】

 材料: 

 ・謎の挽肉

 ・豆腐(切らずに丸ごと)

 ・ニンニク

 ・ネギ

 ・ニラ

 ・しょうが

 ・塩

 ・コショウ

 ・鶏ガラスープ

 ・片栗粉

 ・唐辛子(アホみたいにたっぷり)

 ・山椒(アホみたいにたっぷり)