ビューワー設定

文字サイズ

フォント

背景色

組み方向

目次

エトランジュ オーヴァーロード ~反省しない悪役令嬢、地獄に堕ちて華麗なるハッピーライフ無双~

喜多山 浪漫

episode74

小休止:悪役令嬢、地獄でグルメ紀行。《トムヤムクン編》

 叔母夫婦が巻き起こした一連の騒動も無事に決着を見た。

 ヒッヒ、クック、ヒャッハーの三人組が教育係を買って出てくれたから、後顧の憂いはない。

 我が心の安寧のためにも、当分の間、彼らの顔を見ることも思い出すこともせず、脳みその中から完全に消去するとしよう。


 初の大規模戦闘とその後のお仕置きでカロリーを消費した分は、スイーティアが用意してくれた紅茶とスイーツで回復することができた。

 少しお昼寝もして、身も心もオールグリーン。魔王城攻略に向けて、完璧に近いコンディションと言っていい。


 だが、しかし。

 急がば回れとも言う。(もうすでに散々回り道した気もするが)

 腹が減っては戦ができぬとも言う。(3時間前にスイーツをたらふく食べたのは別腹)

 そう。要するに小腹が空いてきたのである。


 もう陽も暮れてきた。

 敵は、地獄の悪魔、中でも闇魔法を極めたという伝説の魔王の一族に連なる者だ。

 闇魔法は、世界が夜の闇に包まれた刻にこそ真価を発揮する。

 ワタクシが今も闇魔法を使えるのなら、このまま夜襲を仕掛けるのが最上策なのだが、そうではない以上、わざわざ相手の得意分野で勝負してやる必要はない。

 逃げるのも隠れるのもワタクシの主義ではないが、わざわざしなくてもいい苦労を背負い込むのも、これまた主義ではない。

 ワタクシが好きなのは、かすり傷一つ負うことのない圧倒的勝利なのだ。

 そんなわけで、今日はもう晩御飯を食べるだけにして、早めに寝て、明日のラストバトルに備えることにする。


 今夜の料理当番は、ケル、ベロ、スーの獣人三姉妹だ。

 明日の魔王城攻略戦は、地獄の番犬として先代魔王の代から仕えてきた彼女たちにとっては反逆の戦いであり、魔王アホーボーンにスイーツを人質に取られた彼女たちにとっては復讐の戦いとなる。その心中やいかばかりか。心に期するものがあるだろう。


 先の戦闘においてエリトは、ケルが魔王アホーボーンの間諜である可能性を口にした。しかし、ワタクシは微塵も疑っていない。

 なぜなら、ワタクシと彼女たちとの間には揺るぎない絆があるから。

 それはスイーツの絆。

 我らスイーツの使徒は、スイーツをこよなく愛し、決して裏切らない。

 祖国には反逆しても、スイーツに反逆することはない。

 王には復讐しても、スイーツに復讐することはない。

 ゆえに、ワタクシは全面的にケル、ベロ、スーの獣人三姉妹を信じている。

 我らスイーツ同好の士、生まれた時は違えども死す時は同じ日同じ時を願わん。

 と、スイーツの固い絆でワタクシたちは結ばれているのだ。


 さて、そんなケル、ベロ、スーがどんな料理を出してくるのか、楽しみだ。

 まさか、激辛+スイーツ料理なんてことはありませんわよね?

 ……大丈夫ですわよね?


「お待たせ、エトランジュちゃん。晩御飯ができたわよー」


 いつもの明るい笑顔で料理の完成を告げる獣人三姉妹の長女ケル。

 先の戦いで、エリトとの仲が今や公然なった彼女。学園生活で例えるならクラスメイト同士がお付き合いしているようなものだ。隣の席にしたほうがいいんじゃないかとか、できるだけ二人きりになれるシチュエーションを増やしてあげようとか、何かと気を遣う。

 本人たちからすれば余計なお世話なのだろうが、周囲の者たちからするとつい浮かれて余計なお世話を焼きたくなるものだ。


 ケルの表情を見ると、肌艶がよく、笑顔が一段と輝いているように見える。恋する乙女は綺麗になるというが、どうやら真実らしい。

 いつかケルとエリトの間に赤ちゃんができたりするのだろうか。そのときはワタクシが名付け親になって差し上げよう。両親から名前をとってケルリト? エリケル? うーん、迷っちゃう。

 ヒッヒたち三人組にうっかり名前を付けたらトンデモないことが起きたから、あのときは二度と地獄で名前は付けないと決意したものだが、今となっては良かったと思っている。

 だから、機会さえあれば名付け親になるのはまんざらでもない。自慢じゃないがネーミングセンスにはちょっと自信があるのだ。


「なに難しい顔してんだ、エトランジュ? ぼーっとしてたら、せっかくのスープが冷めちまうぞ」


 ほほう。今夜はスープなのか。

 ぶっきらぼうに声をかけてきたのは次女のベロ。

 口は悪いが良識があり、悪魔なのに人間世界の王侯貴族などよりも遥かに人を思いやる優しさを持っている。

 今のセリフ一つとっても「難しい顔をしているけど何か心配事でもあるのかな?」「温かいスープを冷めないうちに美味しく食べてほしい」というワタクシへの心配りが含まれている。ぶっきらぼうに見えて、その実、とても優しく、とても乙女なのだ。


 そんなベロにも最近お相手ができた。三人組の一人ヒッヒだ。

 ヒッヒとベロ。二人並べば社交界の紳士淑女たちがそろってため息を漏らすであろう美男美女だが、意外にも二人とも超の付く奥手で、目が合っただけで顔を赤くして慌てて目を逸らすといった具合だ。戦闘のときは連携技だの合体技だので、あんなにもくんずほぐれずグルグル回転までしていたのに。


「スーは、晩御飯もスイーツでいいって言ったのに、ケル姉とベロ姉に反対されたんでスー」


 そりゃそうだ。毎食スイーツばっかり食べていたら、あっ!という間に糖尿病になってあの世行きだ。

 ……いや待てよ。もうすでにあの世に来ているのだから、スイーツをどれだけ食べても糖尿病にはならないのでは? これはもしかするとワンチャンあるかもしれないぞ。

 この悪魔のような囁きをしたのは獣人三姉妹の末っ子のスー。

 奔放な発言からも二人の姉に存分に甘やかされて育ったのがおわかりいただけるだろう。

 おそらく彼女が「晩御飯はスイーツがいい」と言えば、これまではそれがまかり通ってきたに違いない。


 二人の姉に多少の良識があったため、今回はかろうじて晩御飯の選択肢からスイーツは除外された。

 それに対して愛らしくほっぺを膨らませてむくれているスーだが、その瞳にはいずれ毎日三食スイーツにしてやる!という野望が読み取れる。

 うむ、その意気やよし。糖尿病さえ回避できるのなら、ワタクシも全面的に支持しよう。


 と、そんなことを考えている間に本当にスープが冷めてしまう。

 料理は味だけではない。温かさも美味しさに含まれる。ベロの言葉の従って、熱いうちにいただくとしよう。

 さて、目の前に置かれたのは小さめの土鍋。蓋を開けてみると、もわっと蒸気が舞う。

 登り立つ湯気からは、癖のある魚醤の香りがする。

 赤みを帯びたスープの表面には立派な海老が浮かんでおり、彩りとして薫り高いハーブがそえられている。

 獣人三姉妹ケル、ベロ、スーが用意してくれた料理は、どうやら海鮮スープのようだ。

 まあ、当然これも激辛なんだろう。

 どれ……。


 すっぱっ!!?!!?

 何コレ? すんごい酸っぱい。

 てっきりガツンと地獄のようなマグマのような辛さが襲い掛かってくるとばかり思っていたので、面食らってしまった。

 ん……?

 酸味に慣れた後に、遅れてしっかりと辛さがやってくる。

 辛いのは辛い。それが証拠に早くも額には汗が浮かんできた。

 しかし、激辛かというと、そこまでではない。

 酸味と辛味の絶妙なバランスのおかげか、すぐにもう一口飲んでみたくなる。

 ずずっ……。


 すっぱっ!

 ……うん、辛い。

 すっぱっ!

 ……うん、辛い。


 何コレ? スプーンが止まらない。

 頭の中ではいったんスプーンを置いて、一呼吸つこうと思っているのに、あともう一口、あともう一口と猛烈な勢いでスープをすすってしまう。

 このスープはヤバい。いけないお薬でも入ってるんじゃないのかと思うほど、中毒性がある。


「ふふっ、エトランジュちゃんが気に入ってくれたみたいでよかった。そのお料理は『トムヤムクン』。地球のタイという地域で生まれたスープよ。トムは煮る、ヤムは混ぜる、クンは海老って意味なんだって」


 煮る。混ぜる。海老。実にシンプルだ。

 具は海老以外にキノコ、玉ねぎと、こちらもシンプル。

 酸味の正体はレモングラス、辛さの正体は毎度おなじみ定番の唐辛子だ。

 しかし、そえてあるハーブ。これはなんだろう? とても癖のある、例えとしては失礼ながらカメムシのような香りがする。さらに魚醤の香りも結構、いや、かなりすごい匂いがする。

 それなのに一つのスープとして料理されると、まったく嫌な香りではなく、むしろかぐわしいとさえ感じるから不思議だ。よくぞこの組み合わせを見つけて、よくぞ料理として仕上げたものだと感心する。


「どうだ、うめえだろ?」


 そう言うベロの表情はドヤ顔ではなく、自分たちが作ったものを、自分たちが好きなものを、喜んで食べている姿を見るのがうれしくて仕方ないといった表情だ。

 やはり口は悪くても、ベロはいい子だ。悪魔にいい子というのも変だけど。


「食後にスイーツはいかがでスー?」


 あのね……。気が早すぎます。こちとら、まだ食べている真っ最中です。

 自分が一刻も早くスイーツにありつきたいだけのスーが目でも言葉でも、早く早くと訴えかけてくる。

 もちろんスイーツをいただくのはやぶさかではないが、それはちゃんとお料理を美味しく食べ終わった後にしたい。


 すっぱ辛い、すっぱ辛いの怒涛の連続攻撃。酸味と辛味の応酬が続く。

 海老からあふれ出た濃厚なエキスは酸味とも辛味とも調和して、えも言われぬ風味と味わいを醸し出している。

 辛さという点においてはこれまで登場した激辛料理に及ばないまでも、中毒性という点においては最優秀賞を授与したい。

 トムヤムクンか。こんな辛さの世界もあるのか。

 まだまだ知らないことがたくさんある。死んでよかったとは別に思わないが、行き着いた先が地獄であったことは、ワタクシにとって幸運だった。

 良き仲間、良き食事に出会えたことに心から感謝だ。


「ごちそうさま」


 身も心も十二分に満たされた。

 しかし、最後の仕上げが残っている。

 仕上げはもちろん食後のアレだ。


「ケル。ベロ。スー。さあ、お腹もふくれたところで一緒にスイーツを食べましょ」


 待ってましたとばかりにスイーティア特製のスイーツを取り出し、テーブルに並べる三姉妹。

 ま、用意がよろしいこと。ふふっ。

 良き仲間、良きスイーツ。

 これでエネルギー充填率200%。

 明日の魔王城攻略戦、もはや勝ったも同然だ。




 ※レシピは割愛