エトランジュ オーヴァーロード ~反省しない悪役令嬢、地獄に堕ちて華麗なるハッピーライフ無双~
喜多山 浪漫
episode93
幕間狂言:正ヒロインと有能執事、もう一つのラストバトルの行方は…。
「何よ、これ!? こんなの聞いてないわよ!!」
ヒステリックに耳障りな金切り声で喚き散らしているのは、自称・聖女のアンジェリーナ。その顔には怒り、焦燥、恐怖がへばりついている。
ここは魔の森の奥深くにある魔窟の、これまた更に最下層。第一王子とアンジェリーナ率いる勇者パーティーが、俺のでっち上げた偽魔王とのラストバトルを繰り広げている世紀の決戦の場である。
偽魔王と言ってもその名に恥じぬだけの大物を用意した。暗黒竜と対極をなす最強クラスのドラゴン、聖白竜だ。
聖白竜は光属性の最高峰に位置し、唯一の弱点は闇属性の武器による物理攻撃、あるいは闇属性の魔法攻撃のみ。光属性の自称・聖女アンジェリーナにとっては天敵のような存在だ。
「どうなっているの、ジュエル!!? 魔王は暗黒竜じゃなかったの!!?」
アンジェリーナが乙女にあるまじき形相で、早々に後方へと退散した俺を睨みつける。
まるで俺が騙し討ちしたような物言いだが、身の潔白のために補足しておくと、俺は魔王が暗黒竜であるとは一言も言っていない。アンジェリーナが勝手に魔王は暗黒竜だと思い込んでいただけだ。
まあ、俺も知っていながら魔王が聖白竜だとは教えなかったのだが。
この魔窟の最下層にたどり着いたとき、すでに邪悪な心を持つ侵入者たちの気配を察知していた聖白竜は臨戦態勢で待ち受けていた。
一方、光属性の魔法を操るアンジェリーナの加護さえあれば、たとえ相手が暗黒竜でもほぼ無傷で倒せるだろうと高をくくっていた勇者パーティーは、完全に油断していた。
相手が暗黒竜ではなく、聖白竜だと気づいた瞬間のあのアンジェリーナの顔と言ったら……。ふふふ。叶うことならエトランジュお嬢様にも見せて差し上げたかった。
ラストバトルの最初の死者は、ナイトハルト・フォン・アインツェルゲンガー。
武勇の誉れ高いアインツェルゲンガー辺境伯家の次男は、ロクに剣を構えることもなく聖白竜の右前足の一撃でぐしゃりと肉片と化した。
その親友たる第一王子はその場で嘔吐し、悲しみではなく別の意味で涙を流していた。
ちなみに、未来の宮廷魔術師長(エーデルシュタイン王国に未来があればの話だが……)、シュテルクスト・フォン・ヴァイザーはこの段階で腰を抜かして失禁した。
次なる死者は、勇者パーティーのもう一人の前衛、ジークフリード・フォン・ゼーレ。
俺の初等部からの同級生だ。お互いに仕えるべき主が違い、その主同士が婚約してからも決して良い関係ではなかったため、長い付き合いだが「おい」とか「ふん」とかしか口をきいたことがなかった。
このたび初めてやつのほうから話しかけてきたと思ったら、「助けて」の一言。聖白竜に左前足に鷲掴みにされ、上半身を喰いちぎられる直前のことだった。
3人目の死者は、エミール・フォン・フリューゲル。
さすがはエーデルシュタイン王国の神官長を務めるフリューゲル公爵家の嫡男。彼は勇敢にも仲間を救おうと回復魔法を唱えた。その姿には少なからず胸を打たれるものがあったが、回復魔法をかけている相手というのが、すでにミンチとなったナイトハルトと、下半身のみになったジークフリードだったのが残念でならない。
男女問わず信奉者の多かった彼の最期は、彼の挙動に首をかしげる聖白竜がテキトーに放った小さな炎に巻かれての丸焼きで、これまた残念な仕上がりとなった。
4人目の死者は、シュテルクスト・フォン・ヴァイザー。
こいつは最初の一撃でナイトハルトが死んだときに戦意喪失となっていたため、本来は心優しいであろう聖白竜は害なしと見なして相手にしなかった。
だが、聖白竜を何とかして退治してやろうと必死の形相でアンジェリーナが放った光魔法の犠牲となる。その光魔法は複数の鋭い刃で広範囲の敵を一度に仕留める全体魔法だった。この状況下で放つ魔法だ。おそらくは光魔法の中でも上位に位置する魔法なのだろう。普通の敵ならこれでジ・エンド。しかし、相手は光属性の頂点に立つ聖白竜。いとも簡単に弾き返し、その巻き添えとなったシュテルクストは痛みを感じる暇もなく、バラバラに斬り刻まれた。
ここまでの所要時間3分。
ラストバトル3分で勇者パーティーは4名の死者を出し、崩壊寸前。
勇者たる第一王子は、仲間が無残に死ぬたびに嘔吐した。もう胃の中には何も残っていないだろう。
聖女たるアンジェリーナは、世間で正ヒロインと呼ばれる乙女の仮面をかなぐり捨てて、先程から俺に向かって八つ当たりの恨み言をぶつけている。
そんな暇があったら逃げればいいと思うが、これは偽りとはいえラストバトル、偽りとは言え相手は魔王、逃げられない宿命なのだ。
「せっかく苦労して準備してきたのに……! ようやくハッピーハーレムエンドをこの手につかめるところだったのに……!! こんなトカゲに台無しにされてたまるものか……!! こんなところで終わってたまるものか……!!」
洞窟内に響き渡る呪詛の言葉。
憤怒と怨念の籠った仄暗い魂の叫び。
アンジェリーナの肉体から、ずずずと黒い淀んだ瘴気があふれ出していく。
禍々しい黒い影は次第に大きくなり、やがて聖白竜と並び立つほどまでになる。
何だ、あれは……?
「死ね……!!」
アンジェリーナの右手から黒い光が大きなうねりを上げて聖白竜に襲い掛かる。
瞬く間に巨体を包み込んだ黒い触手のような光は、ゆっくりと確実に聖白竜を締め付けていく。
生命の危機を感じた聖白竜が暴れようとも、炎を吐こうとも、容赦なく黒い光は圧縮していく。やがて――
ぶしゅっ!!
黒い光の中から聖白竜のものであろう大量の血しぶきが噴き出す。
洞窟の中は辺り一面、血まみれだ。
一体、何がどうなっている?
何が起こった?
アンジェリーナは何をしたのだ……?
このことを早く世間に知らせねば……!
だが、誰が信じる?
いや、とにかくこの場を去ることが先決――
「ねえ、ジュエル」
立ち去ろうと振り返えると、血まみれになったアンジェリーナが笑みを浮かべながら俺をじっと見つめている。
口元は笑っているが、目は完全に座っている。
今まで馬鹿な女だと侮っていたアンジェリーナではない。
誰なんだ、こいつは……?
「あなたも攻略したかったんだけどね……」
すねたように、少し残念そうな表情でつぶやくアンジェリーナは鮮血を浴びたままだ。
俺は恐怖で足がすくむのを感じた。
自分ではわからないが、足も手も唇も震えているだろう。
「もういらない」
胸のあたりにズシンと重い衝撃が走る。
痛い?
息ができない?
熱い?
冷たい?
それらがないまぜになった感覚が全身を襲う。
何が起きたかは理解できないが、このまま死ぬということだけは確実に理解できる。
にんまりと不気味な笑みを浮かべるアンジェリーナが手に握り締めているのは……
俺の……心臓……?
意識が遠のいていき、顔から地面に崩れる。
その瞬間、愛用の眼鏡が外れたことだけは、なぜか認識できた。
エトランジュお嬢様が誕生日に贈ってくれた大切な品だからだろうか……。
エトランジュお嬢様……。
汚名を晴らすことも叶わず、復讐を果たすこともできず、どうやら無能なジュエルはここで朽ち果てる運命のようです……。
願わくば天国にいらっしゃるお嬢様に一目お会いしたかったところですが、このラストバトルで何人もの人間を犠牲にした俺は地獄行き確定でしょう……。
エトランジュお嬢様……。
エトランジュお嬢様……。
どうか……。どうか、せめて天国では笑顔で健やかにお過ごしになられていることを祈って……。
さよ……う……な……ら……………………。