エトランジュ オーヴァーロード ~反省しない悪役令嬢、地獄に堕ちて華麗なるハッピーライフ無双~
喜多山 浪漫
episode75
悪役令嬢、必勝を誓う。
エトランジュ・フォン・ローゼンブルク公爵令嬢の朝は早い。
美肌を保つために睡眠時間はしっかり確保する。早寝早起きは乙女のたしなみだ。
毎日、日の出の時間には自然と目が覚めるよう体内時計もばっちりセットされている。
朝日を全身にしっかり浴びながら、ゆっくりと身体を伸ばす。
「う~~~ん、よく寝ましたわ」
起床後はまず、ぬるいお湯で濡らしたタオルを使って全身を拭う。
悪夢にうなされなくても人間は意外と就寝中に汗をかいているものだ。その汗を拭わずに一日を過ごすなど、年頃のレディとして許されぬ行為である。
湯につかるのが面倒で手抜きしているわけではなく、ちゃんと毎日、夕食前に湯あみもしている。ワタクシは綺麗好きなのだ。
身体を綺麗にした後は着替えだ。
一見、いつも同じドレスを着ているように見えるかもしれない。実際にまったく同じデザインのドレスも複数持っている。だが、それとは別に細かい意匠が異なる別バージョンのドレスもたくさん所有しており、それらをそのときの気分によって選択する。
下着も当然、毎日新しいものに履き替えている。邪神に誓って申し上げるが、何日も何日も同じ服を着ているわけではない。誤解を招くといけないので、これは強く明記しておきたい。
身支度の仕上げに髪を整える。
右半分はカットした髪を垂らしているだけなので、丁寧に櫛を通すだけで簡単に整えることができる。
問題は左半分のシルエットの決め手となるロールヘアだ。上から下に向けて段階的に小さく収束していく螺旋状の巻き毛。この芸術的なまでのフォルムを完璧にセットするには熟練の職人技が必要になる。
人に頼らないと身支度一つできないというのはワタクシの主義に反するため、生前から身の回りのことはできるだけ自分一人でやれるようにしてきた。
しかし、このロールヘアだけはワタクシひとりの手には負えないため、専属メイドのスイーティアに手伝ってもらっている。彼女がいてくれて本当にありがたい。
身なりを整えた後はお待ちかねのモーニングティータイム。
お茶のお供に……というかワタクシにとっては、こちらが主役なのだがスイーツをいただく。
起きたばかりなので軽めにマカロンとビスケットだけにとどめておく。ワタクシにとっては準備運動のようなものだ。
熱い紅茶と甘いスイーツが徐々に眠っていた身体と脳みそを覚醒してくれる。
よし。今日も完璧な朝だ。
いよいよラストバトル。魔王アホーボーンとの決戦。
これまで自分に言い聞かせるように強がってきたが、正直なところ不安がまるでないと言ったら噓になる。
相手は闇魔法を極めたという先代魔王の甥っ子。これまで戦ってきた敵とはレベルが違うだろう。
ワタクシ自身が戦いで傷つくのは構わない。好きでやっていることだから。
しかし、もし仲間たちが怪我をしたら……ましてや命を失うようなことになったらと思うと怖くて怖くて仕方がない。
エトランジュ・フォン・ローゼンブルク公爵令嬢は決して臆病者ではない。どちらかというと幼少のみぎりより蛮勇をふるってきた。戦いに怯えた経験などない。ドラゴンを相手にしたときも死霊の群れに囲まれたときも毅然と立ち向かった。
仲間の存在がエトランジュ・フォン・ローゼンブルク公爵令嬢を弱くした。確かにそうなのかもしれない。仲間の人生を、命を背負うことの責任がこんなにも重いものだったとは知らなかった。
「ご主人様、少しよろしいでしょうか?」
魔王城攻略戦を前にほんのちょっぴりナーバスになっているワタクシに、ヒッヒが声をかけてきた。
地獄に堕ちて最初に仲間になった三人組。中でもヒッヒは執事役としてワタクシの身の回りのことだけでなく、我が地獄の軍団の庶務全般を積極的に引き受けてくれている。
「実は以前から皆と相談しながら準備していたのですが……」
おずおずと少し遠慮がちに手渡された布を広げてみると、それは上質のシルクに見事な刺繍が施された軍旗だった。
「これは……?」
「我が地獄の軍団は超少数精鋭。先の戦いのような大規模戦闘になったとて敵味方の区別は容易につきます。しかし、ご主人様の強さ、お人柄、カリスマ性に魅せられて集った我ら、その象徴を目にするだけで士気は高まり、勇気が湧いてくるのです。ですから……」
なるほど。それで軍旗を作ったというわけか。
確かにこういった旗印があると連帯感が湧き、士気が高まる。
見ると、丁寧に刺繍された紋章から彼らの想いが伝わってくる。
深みのある赤を基調とした薔薇の意匠。これに狼の頭部が加わればローゼンブルク公爵家の紋章だ。お父様のウォルフガングという名はこれに由来する。
そのローゼンブルク公爵家の薔薇はそのままに、狼ではなく暗黒竜の意匠が施されている。この暗黒竜はおそらくワタクシをイメージしたものだろう。
ワタクシとしては愛くるしい妖精さんあたりにしてほしかったのだが、実際に闇魔法で暗黒竜に変身している姿を見せている以上、文句は言えない。
ローゼンブルク公爵家の紋章は薔薇と狼。
だが、我が地獄の軍団の紋章にはもう一つ要素が加わっている。
これは女性陣の意見が採用されたに違いない。
何が加わったのかというと、それはもちろんスイーツだ。
三段重ねのたいそう立派な、さながら神殿のようなプリン・ア・ラ・モードの意匠が施されている。
うんうん、いいじゃない。さすがスイーツの同志たち。よくわかってらっしゃる。
左下に薔薇。右下に暗黒竜。そして中央上部にプリン。
これが我が地獄の軍団の紋章か。
仲間の存在がワタクシを弱くしたと思っていた。
けれども、この軍旗を手にしていると不思議なことに勇気が湧いてくる。
仲間たちを傷つけたくないと思うあまり臆病になっていたが、仲間の存在がワタクシに勇気を与えてくれる。
困難においてはお互いを支え合う。喜びは分かち合う。それが仲間だ。
どうやらワタクシは彼らを一方的に守らなければならないと思い込んでしまっていたようだ。
そうだ、ワタクシたちは仲間なのだから助け合えばいいのだ。
「ご主人様……?」
万感の思いで軍旗を握りしめるワタクシの沈黙を案ずるヒッヒ。
沈黙を不満と解釈したのかもしれない。
「ありがとう、ヒッヒ。とっても気に入りましたわ。あとで皆にもお礼を言わなきゃいけませんわね」
「はっ、お気に召していただけたようで何よりでございます」
恭しく頭を下げるヒッヒだが、心の中でガッツポーズしているのが透けて見える。
ワタクシを喜ばせようと仲間たちを秘密裏に集めて紋章のデザインを試行錯誤してきたのだろう。そして、まんまとワタクシを喜ばせることに成功したのだ。
ヒッヒの頬はうっすらと紅潮し、瞳には涙が浮かんでいる。
今日の魔王城攻略戦。必ず勝利してみせる。
この素敵な仲間たちと一緒に。