エトランジュ オーヴァーロード ~反省しない悪役令嬢、地獄に堕ちて華麗なるハッピーライフ無双~
喜多山 浪漫
episode94
小休止:悪役令嬢、地獄でグルメ紀行。《プデチゲ編》
ネコタローのプロポーズという予想だにしなかったサプライズに度肝を抜かれはしたものの、なんとか無事平穏につつがなく魔王就任の戴冠式を終えることができた。
だがしかし。それで済むと思ったら大間違い。戴冠式の後には、魔王就任祝いのパーティーが待っていた。
地獄のパーティーか。波乱の予感しかしないのだが。
ワタクシの魔王就任祝いのパーティーは当初から計画されていたようで、会場の大広間(魔王親衛隊と戦った場所)に着いたときには準備万端整っていた。
会場内外の至る所に煌びやかで雅な飾りつけが施されている中、なぜか会場中央上座に位置するメインテーブル後方にある『魔王就任祝い』と書かれた白い布だけが、取ってつけたように掲げられている。
気になってこっそりめくってみると、そこにはふんだんに金銀宝石をあしらった装飾文字で『結婚披露宴』と描かれた看板が永遠に来ることのない出番を待ちながらひっそりと眠っていた。
ギロリ!と人の姿をしたネコタローを睨みつけると、「ははは……」と冷や汗を浮かべながら情けない笑い声で誤魔化された。
ネコタローの計画ではプロポーズは100%成功する予定だったらしい。
もしもあのとき少しでも情に流されていたら問答無用で強引に結婚披露宴に突入され、あわやそのまま既成事実を作られてしまうところだったかと思うとゾッとする。
魔王就任祝いのパーティーそのものは、もともと結婚披露宴にするつもりだけあって美しい音楽が奏でられる荘厳美麗なものだった。
とりわけ贅を尽くした地獄料理の数々には目を見張るものがあった。
サラマンダー、コカトリス、バシリスクといった今まで見たことのなかった魔物を食材にした前菜、スープ、サラダなど究極至高のフルコースたち。中には、確か倒した後に「これはSランク級です!」となぜかジュエルに叱られたヒュドラやマンティコアまで見事な味付けの美しい一皿としてテーブルに並んだ。
地獄のパーティーだというから、どんな罰ゲームが待ち受けているのかと身構えていたがこの分なら心配なさそうだし、正直なところエーデルシュタイン国王主催のパーティーよりも数ランク上のクオリティだ。地獄最高。
しかし、ここで油断するのは地獄初心者だ。
ワタクシぐらいの上級者になってくれば、ちゃんと危険と安全を見分けることができる。
そして、そのワタクシが危険と判断したのは、メインディッシュ。
なぜか、これだけはメニューに「????」としか書かれていない。
絶対に怪しい。嫌な予感しかしない。
そのメインディッシュの出番がいよいよやってきた。
司会を買って出たエリトが熱のこもったスピーチで会場の期待を高める。
「さて、次はメインディッシュでございます。料理を手掛けたのは我らが敬愛する先々代魔王ギルティアス様。皆様もご存じの通り、ギルティアス様はもともと罪人の刑罰のために作られた激辛料理を広く地獄で楽しめるものとして激辛ブームを巻き起こしたお方です」
そう言えばそうだった。
スイーツ一筋のワタクシに地獄の激辛料理を最初に食べさせたのは三人組のヒッヒだったが、そもそも地獄に激辛料理を根付かせたのはネコタローだった。
初めこそ驚いたが、今となっては激辛料理の魅力に取り憑かれている。もちろん、スイーツには敵わないけれど。
そう考えると、ワタクシの人生においてネコタローの影響力というのは小さくない。もちろん、だからって結婚はしないけれど。
「それではメインディッシュの入場です。皆様、拍手でお迎えください」
大広間の入り口が開き、給仕たちが厳かな面持ちでメインディッシュを各テーブルに運んでいく。その間、会場からの万雷の拍手は鳴りやまない。まるで新郎新婦の入場シーンだ。
各テーブルにメインディッシュが行き渡ったのを見計らって、司会席にいたエリトとネコタローがバトンタッチする。
「皆の衆。本日は俺たちの結婚披露宴……じゃなかった、エトランジュの魔王就任祝いパーティーに出席してくれたこと、心から感謝する」
あからさまに言い間違えをするネコタロー。この分だと、まだまだワタクシとの結婚を諦め切れていないようだ。やれやれ、無駄な抵抗を。
「この場にいる者の中では俺が一番エトランジュとの付き合いが長い。思い起こせば、あれは人間世界にただの黒猫として転移して間もない頃。傷つきボロボロになった俺を雨の中、ドレスが汚れるのも気にせずに抱き締めてくれたあのときのエトランジュの優しさとぬくもりに俺は一撃で恋に落ちてしまったのだ。以来――」
料理の解説を始めるのかと思ったら、ワタクシとの出会いを語り始めるネコタロー。
俺が一番付き合いが長いとか、そんなせこいマウントを取るのはやめてほしい。
抱き締めたとか、恋に落ちたとか、そういうワードもいらない。
「ネコタロー。話が長いですわよ。料理が冷めてしまうじゃありませんの」
「おっと、これは失礼。さっと料理の紹介をするだけのつもりが、つい長くなってしまったようだ」
嘘つけ。確信犯のくせに。
「今日のめでたき日を祝うのに、地獄の激辛料理の中でも俺が一番好きな『プデチゲ』を用意させてもらった。もちろん、食材の選定から味付けまで、すべて俺が担当した。ぜひこの味を新魔王エトランジュと会場の皆の衆に楽しんでもらいたい」
プデチゲか。初めて聞く料理の名前だ。
給仕たちが蓋を開けると、真っ白な湯気がもわっと立ち込める。湯気が消えた後、そこにはぐつぐつとまだ煮えたぎる真っ赤な具材とスープ。どうやら鍋料理のようだ。
これまでの上品で彩り鮮やかなコース料理とは一転、庶民的な料理に見える。
「このプデチゲという料理は、人間界の韓国という地域で生まれたものだ。プデは部隊、チゲは鍋を意味する。なんでも戦時中の食糧難の最中に韓国の伝統食材と、外国軍から支給された食材とを合体させたことから誕生したそうだ。苦しい戦いの中、一つの鍋を分け合う戦友たち。洋の東西を問わずに融合させる懐の深さ。我々も見習いたいものである」
なるほど。悪魔の頂点である魔王の座に、人間であるワタクシが立つことを面白くないと感じている地獄の悪魔たちがまだまだいるかもしれない。この場には、これまでの戦いでワタクシにボコボコにされて恨みに思っている悪魔もいるかもしれない。
しかし、ここで同じ一つの鍋をつつき合い、分かち合い、わだかまりを解消してほしいというメッセージを込めた趣向か。こういうところは、さすが先々代魔王。素直に感心する。
「さあ、皆の衆。思う存分に食べてくれ」
おお!という歓声と、再び万雷の拍手、そして鍋料理の熱気が会場を包む。
それでは、さっそくいただくとしよう。
具材は、腸詰(ソーセージ)とハムに似たすり身を固めたような謎肉。おそらくはこれらがメイン食材。その他にもネギ、白菜、ニラ、玉ねぎ、キノコといった野菜類に加え、麺まで一緒に煮込まれている。なんとカオスな……。
どれ。
「あつっ!!」
はふはふ。
ネコタローの長話にもかかわらず、全然冷めていない。
熱さが落ち着くと、だんだん旨味と辛さが口の中に広がっていく。この旨味は腸詰と謎肉、そして複数の野菜から出たエキス、それに調味料で味を調えたものか。唐辛子も粉状のものと、発酵調味料にしたものを使っているようだ。
辛いと言えば辛いが、地獄料理で鍛え上げられた舌は充分耐性が備わっている。辛さの中にある各食材の味わいや歯ごたえを楽しめるだけの余裕がある。
腸詰は、皮はパリッと中はジューシー。メイン食材を張るだけの力量の持ち主だ。
白菜は、葉の部分はしんなり、軸はしゃっきりと異なる歯ごたえとしみ込んだスープの味を堪能できる。
ニラは汁に使った部分は柔らかく、まだ汁に使っていない部分はシャキシャキとした歯ごたえと鮮烈な香草の香りがする。
しんなり柔らかくなった玉ねぎは辛い鍋に野菜の甘みを加えてくれる。
細長くて白いキノコは、鍋の汁をたっぷりと吸っていて、しゃくしゃくした歯ごたえが楽しい。
ネギは噛むと中からぬるりとしていて独特の触感がある。薬味代わりに他の食材と一緒に食べるのがいいようだ。
そして麺。これは以前に食した台湾ラーメンと同じ系統の麺だ。しかし、この麺は何と言うか、食感も喉越しも違う。おそらく台湾ラーメンのときの麺は生麵、今回は乾麺を使用しているのだろう。そのせいか、しっかりと麺がスープの旨味を吸収してくれている。
さて、最後は謎肉だ。
これはもう、謎肉としか言いようがない。とにかく食べてみないことには始まらない。鬼が出ようと蛇が出ようと、この魔王エトランジュ・フォン・ローゼンブルク。不退転の決意で前進あるのみ。
あんぐ。
もぐもぐもぐ。
……美味しい。いや、決してコース料理に出てきたような上品な味わいではない。しかし、ひとたび口にすれば止まらない、そんな蠱惑的な麻薬的な禁断の美味しさとでも言おうか。
シュワルツが作ってくれたハンバーガー。そうだ、あれに近いものがある。
謎肉の名称も材料も知らないが、きっと由来は当たらずとも遠からずだろう。
ふう。
ここまですべての食材を味わい尽くすのに集中していたので顔を上げてみると、額や頬に汗が伝うのがわかる。触ってみると、顔中汗でぐっしょりだ。
ワタクシはほとんど化粧をしないので影響はないものの、顔中化粧品を塗りたくっているようなご令嬢方や叔母のようなご婦人方にとっては死活問題である。
更に言うなら、もしこれがまかり間違って結婚披露宴だったらウェディングドレスで汗だくだくの新婦が出来上がることになる。
ネコタローよ、そのあたりはまだまだのようですわね。
見ると、同じテーブルについている仲間たちも汗だくだ。しかし、みんな笑顔で楽しそうに我先にと好みの具材を取り合っている。これこれ、分かち合う精神はどこへ行った。
クック、ヒッヒ、ヒャッハー。
ネコタローにスイーティア。
エリト、シュワルツ、イグナシオ。
ケル、ベロ、スー。
アリアと親衛隊の面々。
みんな、いい笑顔をしている。
ネコタローの隣ではアホーボーンも小さくなって座っている。悪戯がバレて叱られた子供にしか見えない。罪悪感からか、せっかくのプデチゲもほとんど食べていない様子だ。
そんな彼の器を手に取り、代わりに鍋の具をよそって差し上げる。
「はい、アホーボーン。ワタクシのお祝いなんですからね、しっかりお食べなさい」
器を手渡されたアホーボーンは一瞬戸惑いを見せたが、ワタクシの気持ちを汲み取ってくれたのか、パァっと顔を明るくする。がつがつと一気に器の中身を平らげ、その勢いで今度は自ら遠慮なしに鍋をつつき始める。うん、これでよし。
ふと視線を感じて隣を見ると、ネコタローが「うんうん、それでこそ俺のエトランジュだ」とでも言いたげに、したり顔で頷いている。
しかし、この鍋というものは素晴らしい。
こうして仲間たちと囲めば、自然と一体感がわいてくる。
この味付け、そしてこの雰囲気。これはエールがほしくなってくる。
ワタクシは、普段はお酒をたしなまない。
地獄に堕ちてから、まだ一滴も口にしていない。
決して嫌いなわけでも弱いわけでもないけれど、お酒を飲むと思考が鈍り、記憶が曖昧になるのが嫌なのだ。
酔っているときに恨みを持つ相手が襲ってきたら? 悪党に絡まれたら?
年頃のレディとしては、そのあたりのことをちゃんと考慮しているのだ。
もちろん、襲われたり絡まれることを恐れているわけではない。酔ったせいで加減がわからなくなって半殺しではなく全殺しにしてしまうという惨劇を避けたいだけだ。
こう見えても無益な殺生はしないタイプですのよ。おほほほほ。
「みんな、エールで乾杯しましょうか」
ワタクシの提案に待ってました!と特大ジョッキに注がれたエールが続々と運び込まれる。
全員にエールが行き渡ったところで、乾杯の発声をする。
「これからもみんなで力を合わせて、楽しくスイーツな地獄にしていきましょう。……乾杯(プロージット)!!」
「「「「「「「「「「乾杯(プロージット)!!」」」」」」」」」」
ワタクシの声に呼応して、会場全員が乾杯と唱和する。
会場にいる地獄の悪魔たちには悲喜こもごも複雑な思いがあっただろうが、これでようやく全員の心が一つにまとまったように思う。
仲間たちと囲む鍋。最高だ。人間世界では両親の死後、ついに味わえなかった心温まる味。
それを与えてくれた仲間たちに、心の中でもう一度だけ感謝を込めて乾杯する。
乾杯。
「よーし、叔父上には負けていられない! ボクもとっておきの激辛料理を披露するぞ!」
早くも酔っ払ったアホーボーンが激辛料理を作り始める。
危険性が極めて高いというネコタローの助言を受けて、三人組が毒見役として叔母夫婦に毒見をさせる。度を越えた辛さに叔母夫婦は悶絶。案の定、危険だったことが証明された。
「私も負けてられないのれす!」
ふんす!と拳を振り上げて、スイーティアが名乗りを上げる。
スイーティアも相当お酒が回っているようだ。呂律が回っていない。
いやいや、アホーボーンの激辛料理と張り合わなくていいから。貴方には食後のスイーツに専念してほしいのに。
「私だって激辛料理を作ってみたいんれす! 今から食後の激辛スイーツを作りますから、期待してくらはい、お嬢様!」
いやいや、激辛のスイーツって矛盾してるし。せめて激辛かスイーツか、どっちかにしてほしい。
そのあとはもう収拾がつかず、会場はみんながみんな俺も私もと激辛料理を作り始めての激辛パーティーと化した。
パーティーはまだまだ続きそうだ。今夜は眠れそうにない。
ま、たまにはこういうのもいいですわよね。
第1部 地獄編
完