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目次

エトランジュ オーヴァーロード ~反省しない悪役令嬢、地獄に堕ちて華麗なるハッピーライフ無双~

喜多山 浪漫

episode54

悪役令嬢、双頭の蛇となる。

 ぬぐぐぐぐぐぐぐ……。

 サキュバス一族の姫アリアのフィニッシュホールド『コブラツイスト』によって、ワタクシの命運は今や風前の灯。絶体絶命の大ピンチだ。

 師であるカンフーマスターからは毒蛇の異名を賜り、習得した蛇拳はキングコブラ拳と称されたワタクシが、このまま同じくコブラの名を冠する技に屈するわけにはいかない。


 どんなときでも冷静に。

 人は追い込まれると冷静な判断ができなくなる。普段は簡単に解けるような問題でも、将来を左右する試験となると緊張して解けなくなったりする。それが今のワタクシのように自分の生死にかかわる状況ならなおさらだ。

 けれども、そういうときこそ努めて冷静にならなければならない。冷静さが思考を生み、思考が活路を切り拓くのだ。

 幸いにもコブラツイストを極められている状況下でも、蛇拳の命ともいえる両手の自由がきく。この双頭の蛇をもってして危機を脱するのだ。


 えい。

 こちょこちょこちょ。


「ひっ!!?」


 アリアが高音の悲鳴を上げる。

 よしよし。思った通り、効き目はあるようだ。

 しからば――


 こちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょ。


「ひぃぃぃいいぃぃいぃぃぃぃぃぃいいい!!!!?」


 たまらずアリアが身体をよじらせくねらせながら悶える。

 どれだけ肉体を鍛えていようとも、いかに肉の壁で覆われていようとも、そこに神経が通っている限り、つねったり、ひっぱたいたり、くすぐったりすると身体は刺激を感じて反応する。これは肉体の反射であるため、いくら鍛えたとしても抗えるものではない。

 相手は女の子なのでさすがにつねったりひっぱたいたりするのは憚られるため、くすぐることにした。(さんざん撃ったり突いたり蹴ったりした後ではあるけれども……)


 狙いは見事的中。

 先程からのワタクシの攻撃(くすぐり)に、アリアはなすすべもなくイヤン馬鹿んと悶え苦しみ喘いでいる。おかげで完璧に決められていたはずのコブラツイストは、ゆるゆるだ。

 今がチャンス。スルリと難なくコブラの締め付けから逃れることができた。


「し、しまった!!」


 難攻不落の動くお菓子の城だと思っていたアリアの攻略方法はつかんだ。これで一気に形勢逆転だ。

 ピンチの中でチャンスを生み出す。これぞエトランジュ・フォン・ローゼンブルク公爵令嬢の真骨頂だ。


「た、戦いの最中にくすぐるなんて卑怯じゃぞ!!」


「卑怯で結構。勝てばいいのですわ。さあ、トドメを刺させていただきますわよ」


 両手を蛇の形にして構える。苦しい戦いの中で編み出したオリジナルの蛇拳、双頭の蛇。

 威力のほどは先刻証明済みだ。さあ、覚悟するがいい。


 えい。

 こちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょ。


「い、いや! きゃはははははははは! ひぃぃぃいいいぃぃぃぃい!!」


 こうかは ばつぐんだ!

 アリアが陥落するのは時間の問題だろう。


「お、おのれ、かくなるうえは――」


 何をするかと思えば、サキュバスの姫アリアも両手を使って双頭の蛇を放ってきたではないか。なんと、彼女も蛇拳の使いだったとは……。

 そしてその効果の大なるを、今度は自らの身体で味わうことになる。


「ぎゃははははははははははははははは!! ひぃぃぃぃいぃぃぃぃいぃぃい!!」


 公爵令嬢にあるまじき大爆笑。こんなお下品な笑い方をするなんて初めてのこと。

 いけない。今からでも至急態勢を整えて、もっとお淑やかな笑い方に軌道修正しないと――

 おほ、おほほ、うほっ! うほほっ!?

 あ、無理。これ絶対に無理なやつだ。


「ぎゃははははははははっっ!! ぎゃああああ!! うひぃぃぃぃいいい!!!!」


 笑い過ぎて涙が止まらない。涙どころか鼻水とよだれまで出てきた。

 アリアのほうは、ひぃひぃ言いながら白目をむいてビクンビクンと痙攣している。

 勝利のためとはいえ、公衆の面前で乙女とは思えないあられもない姿をさらす羽目になった。双方ともにその精神的ダメージは大きい。


 もうお嫁にいけない……。いや、行く気ないんだけどね。

 こうなったら自棄だ。とことんやってやろうじゃないか。

 えい。

 こちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょ。


 二人とも身悶えして足をバタバタさせながら、お互いをくすぐり続ける。

 周囲からは、さながら双頭の蛇がお互いを喰らい尽くそうとしているかのように見えることだろう。

 古代では二匹の蛇がお互いの尾を喰らって飲み込もうとする様をウロボロスと呼んで無限の象徴としたらしいが、このままでは確かに故事に倣うまでもなく延々と不毛な戦いが続くのは明白だ。このあたりが潮時か。


「はぁはぁはぁ……! この戦い、どうやら引き分けのようですわね……」


「ぜぇぜぇぜぇ……! ああ、そのようじゃな……」


 二人とも息も絶え絶え。汗はだくだく、涙も鼻水もよだれもだらだら。

 思えばワタクシにとって人生初の引き分けだ。もちろん敗北は一度たりともない。

 だが、不思議と悔しさは込み上げてこない。そこには全力を出し切った者たちだけが味わえる心地よい爽やかさがあった。

 それはアリアも同じなのだろう。瞳から憎しみの色が消えている。敵意が敬意へと変わっている。どうやら彼女の想いを受け止めることに成功したようだ。

 憎しみが消えたのであれば、あとはスイーツを愛する同志として寄り添えばいい。

 そうだ。今の彼女なら、きっとわかってくれる。


「アリア。貴方、スイーツを滅ぼすなんて言っていたけど、本当はスイーツが大好きなんでしょ?」


「ああ……。ああ、そうじゃ。その通りじゃ」


「だったら、好きなだけ食べればいいじゃない。貴方はそのままでいいのよ。誰が何と言おうと関係ない。ありのままを受け入れてくれる人とだけ一緒にいればいい。それが仲間というものではなくて?」


 そう言ってアリアの親衛隊のほうを見ると、彼女たちはそろって、うんうんと強く頷いている。ワタクシの言葉に我が意を得たりといった表情だ。


「エトランジュ。そんなことが言えるのは、そなたをありのままに受け入れてくれる仲間がいるからじゃ。そなたのように恵まれている者にわらわの気持ちはわからぬ……」


「恵まれているって……。確かに仲間には恵まれていますけれど、それは地獄に堕ちてからのこと。齢17にして無実の罪でギロチンで首ちょんぱされて地獄に堕とされたワタクシが恵まれているだなんて、本気でおっしゃってますの?」


 それに……。

 それにアリアにだって彼女に付き従ってくれる親衛隊がいるではないか。あの親衛隊の献身的な戦働きは陰口を叩くような者たちができるものではない。心の底からアリアを慕っているからできることだ。

 しかし、そのことは口にしない。アリア自身がそのことに気づいていないからだ。ワタクシが指摘したところで信じられないだろう。

 アリアは自らのコンプレックスばかりに意識が集中し、殻に閉じこもってしまっているのだ。だから、まるで周囲が見えていない。

 そうなったのは当然アリアのせいではなく、彼女を内面ではなく見た目で評価する愚か者どものせいなのだけれど。


 ふぅ。やれやれ。仕方ありませんわ。

 この分からず屋のお姫様には、アレを見せて差し上げるしかないようですわね。

 ワタクシが人間世界で忌み嫌われてきたのは、黒髪+闇魔法のコンボだけではない。

 もう一つあるのだ。

 ダメ押しとなる強烈な一撃が――