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目次

エトランジュ オーヴァーロード ~反省しない悪役令嬢、地獄に堕ちて華麗なるハッピーライフ無双~

喜多山 浪漫

episode43

小休止:悪役令嬢、地獄でグルメ紀行。《タコス編》

 敵は魔王城にあり。

 あとは魔王城に乗り込んで魔王アホーボーンとやらを倒すだけだ。

 作戦は特にない。見敵必殺、サーチ・アンド・デストロイ。ひたすらボコボコに殴る。シンプル・イズ・ザ・ベストだ。

 そうと決まれば、お腹が減った。腹が減っては戦ができぬ。


「ご主人様。お待たせいたしました。ご夕食の用意ができました」


 純白のコック服に身を包み、一流の料理人を想起させるたたずまいのエリトが両手に大皿を持って登場する。

 どうせまた激辛料理なのだろう。地獄に堕ちて以来、スイーツか激辛料理しか口にしていない。このままでは身体がおかしくなってしまうのではないかと不安になる。

 案外、魔法が使えなくなったのは激辛料理の副作用だったりして……。


「さあ、どうぞお召し上がりください」


 そう言って差し出された大皿のうち、一つは薄く伸ばしたパンのような生地を焼いたものがズラリと綺麗に並べられている。焼きたてなのだろう。香ばしい穀物の香りが優しく鼻孔をくすぐる。

 もう一つの大皿は色彩鮮やかな具材がふんだんに盛り付けられている。四角に刻まれたトマト、みじん切りにした玉ねぎ、香味野菜を和えたものが入った器には柑橘が添えられている。

 玉ねぎ、にんにく、複数のハーブと炒めた挽肉は先程からワタクシの食欲を大いに刺激してくる。

 挽肉と並んでメインであろう鶏肉は、スパイスで下味をつけて香ばしく焼き上げた後に食べやすく割いてくれている。骨付き肉をガブリと豪快にまるかじりというのも実に美味しいのだが、わざわざ割いてあるのには何か理由があるに違いない。

 その他にもいくつかの焼き野菜が美しく並べられており、見事な絵画のような仕上がりだ。


「これはタコスという料理です。トルティーヤと呼ばれる生地にお好きな具材を挟んでお召し上がりください。まずはオーソドックスに挽肉とサルサだけでお試しいただくのがよろしいかと思います」


「サルサ?」


「サルサとはソースを意味しており、今回は刻んだトマトと玉ねぎ、香味野菜でお作りしました。召し上がる前に添えてあるライムという柑橘をしぼってみてください」


 なるほど。生地で具材を挟んで食べる料理か。これは楽しそうだ。

 エリトの助言に素直に従い、生地の上に挽肉を乗せる。さらにその上にたっぷりとサルサを乗せてからライムを絞る。これでタコスの完成か。

 挽肉から漂うスパイシーな香りと、サルサに含まれる香味野菜の香り、そして仕上げの柑橘の香りが複雑に絡み合い、抗いがたい悪魔的な誘惑をしてくる。これはもう相手が激辛だろうが何だろうが進むしか道はない。前進あるのみ。

 公爵令嬢にあるまじき大口を開けて、いざ突撃――


 はむ。


 こ、これは……美味しい。

 温かくてスパイシーな挽肉と、冷たくて酸味のあるサルサが口の中で混ざり合い、これまで体験したことのない世界を形成している。ともすれば、ちぐはぐになってしまいそうな具材の組み合わせを、トウモロコシの風味が強い生地がしっかりと包み、受け止めてくれている。

 トルティーヤは薄く小さく作ってあるので、いくつでも食べられそうだ。おそらく、さまざまな具材との組み合わせを試して、自分好みのタコスを作り上げるのも楽しみ方の一つなのだろう。美味しさだけでなく楽しさまで提供してくれるとは、なんと偉大な料理だろうか。


 お次は鶏肉をメインにして焼き野菜を使ったタコスを作ってみようとワクワクしていたところで、あることに気がついた。

 そう。この料理、ちっとも辛くないのだ。

 はは~ん、わかったぞ。そろそろワタクシが地獄の激辛料理に辟易しているのではないかと察したエリトが、激辛ではない普通に美味しい料理を用意してくれたというわけか。

 素晴らしい洞察力だ。ナイスプレイ。この一品が決定打となり、エリトの参謀としての地位はもはや揺るぎないものとなった。


「気に入っていただけたようですね、ご主人様」


「ええ、とっても」


「ですが、戦いはこれからです」


「……………………へ?」


 片眼鏡をキラリと光らせて、エリトが後ろに隠し持っていたものを披露する。

 木皿にこんもりと盛られたそれは、禍々しいまでの赤。異形の唐辛子たちだった。


「こ、これは何かしら?」


「もちろん、唐辛子でございます」


 もちろんじゃねえし。

 完全に裏切られた。しかし、エリトの作戦は相手の裏をかくという点では大成功なわけで、やはり彼は参謀として有能なのかもしれない。


「私が思うに激辛料理とは詰まるところ辛さの追求。しかしながら、何がどれだけ辛いのかは人によって見解が分かれるところ。地獄においても一番辛いものは何かという論争が過熱し、あわや内戦にまで発展しかけたことがありました。その危機を未然に防いでくれたのがスコヴィル値なのです。スコヴィル値とは辛さを測定する単位のことで、抽出した唐辛子エキスを砂糖水で薄めていき、辛さを感じなくなった時点の希釈率倍率で測定します。たとえば、1000倍薄めて辛さを感じなくなった唐辛子は、1000スコヴィルということになります」


 辛さの議論で内戦の危機って……。

 地獄の悪魔はそろいもそろって馬鹿なのだろうか。

 スコヴィル値とやらの定義もおかしい。1000倍薄めて、ようやく辛さを感じなくなるようなものは、そもそも人が食べるものとしてどうかしている。前提となる定義がすでに異常という問題を誰かどうにかしてほしい。


「ご主人様に是非お楽しみいただきたく、ここにスコヴィル値ランキングでも上位を占める暴れん坊将軍たちを取り揃えました」


 やめろ。ワタクシを殺す気か。

 そんな心の叫びを知らず、エリトは自慢げに凶悪な暴君たちの紹介を始める。


「まずはタコスと同じくメキシコで生まれた唐辛子、ハバネロ。スコヴィル値は35万スコヴィルです」


 いきなりハイパーインフレ。いきなりラスボス登場。

 ハバネロが「私のスコヴィル値は35万です」と微笑みかけてくる幻覚に襲われる。

 幻覚と戦っているワタクシのことを置いてけぼりにして、エリトは次々と暴君たちの紹介を進めていく。


「ブート・ジョロキア、100万スコヴィル」

「トリニダード・モルガ・スコーピオン、200万スコヴィル」

「キャロライナ・リーパー、220万スコヴィル」

「ドラゴンズ・ブレス・ペッパー、240万スコヴィル」

「ペッパーX、300万スコヴィル」


 いやいや。おかしいだろ。

 それは食べ物の辛さを示す数値じゃない。人が決して足を踏み入れてはいけない禁断の領域だ。


「ここにそれぞれを刻んだものをご用意しておりますので、お好みでタコスにトッピングして召し上がってください」


 さようなら、ワタクシの愛しいタコス。

 貴方は今から悪魔の陰謀によって魔改造されるようです。

 だが、これを終焉と考えるのは早計かもしれない。これまで味わってきた地獄の激辛料理は、いい意味でワタクシの予想を裏切ってくれたではないか。眼前に並べられたいびつな形の唐辛子たちも、同じく新たな味覚の世界を体験させてくれる可能性は十二分にある。

 そんな淡い一抹の期待を込めて、タコスにひとつまみのハバネロの欠片をトッピングする。瞳を閉じ、天国の両親に祈りを捧げる。お父様、お母様、どうかワタクシをお守りください。

 そして覚悟を決めて一気に頬張る。


 始まりは静かだった。これが嵐の前の静けさであることはわかっていた。

 ドクン。

 心臓が高鳴る。続いて津波の前に潮が引くように血の気が引いていく。生命を脅かす異物が混入したことを肉体が全力で警告しているのだ。

 第一級厳戒態勢! 総員、衝撃に備えよ!


 ドカッ!!

 エトランジュは35万スコヴィルのダメージを受けた!


 こ、これは……。想像以上にくる。

 けど、ワタクシはエトランジュ・フォン・ローゼンブルク公爵令嬢。敵を前にしてしっぽを巻いて逃げるなんて選択肢は持っていない。

 死中に活あり。こうなれば、とことんやってやろうではないか。


 バキッ!!

 エトランジュは100万スコヴィルのダメージを受けた!


 ぐふっ……!? これはもうダメなやつなんじゃないのか?

 辛いというよりも痛い。痛いというよりもズシンと重い。五つ首を持つ巨大な毒蛇ヒュドラに嚙まれたときよりも、獅子の身体に蝙蝠の羽を持つマンティコアの猛毒のしっぽに刺されたときよりも、遥かに大きな衝撃とダメージだ。


 ドスッ!!

 グサッ!!

 ブシュッ!!

 エトランジュは200万スコヴィルのダメージを受けた!!

 エトランジュは220万スコヴィルのダメージを受けた!!

 エトランジュは240万スコヴィルのダメージを受けた!!


 ぐはぁ!? 肉を切らせて骨を断つつもりが、ひらりとかわされたうえにカウンターパンチで急所をえぐられたような気分だ。骨の髄まで辛さが染み渡っていく。

 こんなときに魔法を使えればヒールで回復するのに……。

 でも、辛さってヒールで回復できるの?

 辛さが脳まで侵略し始めたか。ワタクシの身体はすでにステータス:に加えて、ステータス:状態に陥っている。

 だが、ここまで来たらあと一歩。一度決めたことは最後までやり遂げるのがワタクシの信条。死なばもろとも。こうなったらタコスと心中だ。


 ズガガガガーン!!!!

 痛恨の一撃! エトランジュは300万スコヴィルのダメージを受けた!!!!

 ぎゃあああああ!? 天地開闢以来、味わったことのない衝撃。朦朧とする意識。味覚はとうの昔に馬鹿になってしまっている。

 タコスを味わっていたはずが、途中から別の戦いが始まってしまった。スライムと戦っていたはずなのに、いきなりラスボスの魔王が現れたようなものだ。

 どうしてこうなった……?

 ・

 ・

 ・

「ご、ごちそうさま」


 未だかつてない苦しい戦いだった。しかし、すべての攻撃を見事に受け切り、耐えきった。一歩間違えれば命を落とす危険な戦いだったが、こうして生きて正気のまま立っている。

 ワタクシは勝利したのだ。


 辛さを探求するあまりに生まれたスコヴィル値偏重の激辛料理には言いたいことが山ほどあるが、激戦を戦い抜いて勝利を収めた勇者のみが味わえる達成感があるのもまた事実。こういう激辛料理の楽しみ方もあるということか。もう二度と御免だが……。

 勝利の報酬は、もちろん食後のスイーツ。

 ラスボス戦で疲弊した舌を優しく癒すために、スイーティアには甘い甘~い氷菓子を作ってもらうことにしよう。




【タコス 地獄の激辛唐辛子を添えて】

 材料:

 <トルティーヤ>

 ・トウモロコシ粉

 ・水


 <サルサ>

 ・トマト

 ・玉ねぎ

 ・コリアンダー

 ・塩

 ・ライム


 <タコミート>

 ・挽肉

 ・玉ねぎ

 ・ニンニク

 ・好みでオレガノ、クミン、チリパウダーなどのハーブ

 ・塩


 <焼き野菜>

 ・玉ねぎ

 ・ピーマン

 ・パプリカ

 ・エシャロット


 <唐辛子>

 ・ハバネロ

 ・ブート・ジョロキア

 ・トリニダード・モルガ・スコーピオン

 ・キャロライナ・リーパー

 ・ドラゴンズ・ブレス・ペッパー

 ・ペッパーX


 ※唐辛子の種類と分量にはくれぐれもご注意ください。

 子供の手の届かないところで保管してください。

 妊娠中や授乳期の摂取は、胎児・乳児の発育に悪影響を及ぼす恐れがあります。

 高血圧症・心臓病等の疾患をお持ちの方、体調の優れない方は摂取をご遠慮ください。