キマイラ文庫

魔法捜査官

喜多山 浪漫

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目次

魔法捜査官

喜多山 浪漫

第4話

『Nightmare(悪夢)』<19>

 食堂を出てから十数分――

 いくつかの見覚えのある場所を通過するようになった。この洋館に入ってすぐに見かけた調度品や壁の傷など。僕の記憶が確かならば、出口はもう近い。


「しっ。何か聞こえます、捜査官殿」


 アルペジオが人差し指を立てて、歩みを止める。それから右手を当てて耳を澄ます。

 おいおい。勘弁してくれよ。もうこれ以上、怖いのは御免だ。

 げんなりした気持ちになりながらも、同じように耳を澄ませてみると……。


 ファンファンファン……


 かすかに、しかし確かに音がする。日常的に耳にする音。パトカーのサイレン音だ。

 ふぅ。それならそうと言ってくれればいいのに、もう。ビックリさせないでほしい。

 パトカーのサイレン音が救いの鐘に聞こえる。普段は警察官として緊急事態でしか聞くことがないためわからなかったけど、なるほど一般市民にとってはこのような救いの鐘のように聞こえるわけかと妙に納得する。


「風馬はん。あれ、出口とちゃいまっか?」


 ミスターが長い指を正面に向ける。

 僕にはよく見えないが、ミスターの視力は4.0というから間違いないだろう。出口だ。

 ようやく……。本当にようやく、この地獄のような洋館から脱出できるかと思うと、じわじわと達成感が身体を満たし、力が湧いてくるような気がするから不思議なものだ。

 出口は目の前。とはいえ、油断はできない。

 ここでCODEレッドやCODEデスに出くわした日には目も当てられない。

 駆け出したい気持ちを抑えながら、ゆっくりと慎重に出口に向かって進む。


 ガチャリ。


 出口に真っ直ぐつながる通路を塞ぐように、20メートルほど先にある左手の扉が開いた。

 魔法生命体(ゴーレム)か!?

 一瞬、緊張で身体が強張るが、よく考えたら魔法生命体(ゴーレム)に扉を開ける知能はない。となると、先着した所轄の警察官か?

 そんな考えを巡らせている僕をあざ笑うかのように扉を開けた主がすぅーと現れる。

 あの女だ。

 白いウエディングを着たあの女。


 ………………は?


 ………………え?


 なぜ!?

 どうして!?

 アルペジオたちも驚きのあまり声も出せずに口を開けている。

 間違いなく手錠でつないだはずなのに。

 ちゃんと両の腕もある。

 右手には包丁がしっかりと握られている。

 そんな馬鹿な。

 もう訳が分からない。

 本当に一体全体、何なんだこの女は?


 戸惑い、金縛りにあったように身動きの取れない僕たちに向かって、女は奇声を上げながら全力疾走で僕に向かってくる。

 後ろにはアルペジオたちがいる。僕が避けたら彼らに危険が及ぶかもしれない。

 先刻同様にローリングサンダーに対応をお願いしたいところだけれど、一応ローリングサンダーは年下の女の子だ。自分は逃げておいて彼女に危険を押し付けるような真似は絶対したくない。

 こうなったら、僕がやるしかない。


「皆さん! 壁際に寄ってください! 僕が対処します!!」


 女が仲間を狙わないように、通路のど真ん中でひと際目立つように両手を広げる。

 女はスピードを落とすことなく一直線に僕へと向かってくる。

 黒い髪を振り乱し、血に染まったウエディングドレスをたなびかせながら、黒目しかない顔は怒りと憎しみに醜くゆがんでいる。

 うひー。怖い。やっぱり失敗したかも。

 だが、今更もう逃げられない。

 女との距離がみるみるうちに縮んでいく。

 女が走りながら包丁を大きく振りかぶる。

 ……3メートル。

 ……2メートル。

 ……1メートル。


 女が力任せに包丁を振り下ろす。

 僕はその手を左手で受け止める。

 すごい力だ。とても女の力とは思えない。


「捜査官殿!!」


 悲鳴に近いアルペジオの声が洋館に響く。

 今だ!!

 僕は、女の押す力を利用してそのまま倒れ込み、背中を床に着ける。

 つんのめって女が覆いかぶさってきたところを、女の腹部を足で蹴り上げるようにして投げ飛ばす。

 巴投げ。

 賭けだったけど、うまくいった。

 女が全力疾走で向かってきたため、思った以上に後方へ飛んだ。床に打ちつけられた女は二回ほどバウンドして天井を仰いだまま、壊れたマネキンのように動かなくなった。

 学生時代に幾度となく練習した技は体に染みついている。それは実戦の場においても役に立つことが証明された。嫌になるほどキツかった練習が我が身を救ってくれたのだ。


「大丈夫ですか、捜査官殿?」


 駆け寄ってきたアルペジオが倒れ込んだままの僕に手を差し出す。

 僕は遠慮なくその手を握り、立ち上がる。


「やっぱりやるときはやるお方でおまんな。風馬はん」


「うんうん。さすがはアタイのダーリンだ」


 称賛してくれるのはありがたいが、後味は悪い。

 練習を除いて、初めて女性相手に柔道の技を使った。やむを得ない状況だったとはわかっていながらも、その事実が僕の心のしこりとなって離れない。

 だが、今はそんなことをうじうじと言っている場合ではない。


「さあ、外に出ましょう。あの女が起き上がってこないうちに」

 ・

 ・

 ・

 洋館の出入り口の扉を開けると、新鮮な風が頬をなでてきた。

 全員の脱出を確認し、扉を閉める。

 閉める際に奥に続く廊下を見ると、白いウエディングを着た女が倒れたままなのがわかった。

 立ち上がって追いかけて来やしないかと内心ヒヤヒヤしたが、無事に何事もなく脱出できた。これでやっとエンディングだ。

 ホラー映画なら、ここでホッとした僕たちにもう一度ダメ押しとばかりに女が襲ってくるところだろうけど、そんなことはなかった。外の世界は平穏無事そのものだ。


 到着したパトカーから次々と所轄の警察官たちが現れる。あらかじめ轟管制官から指示を受けているからか、特に引き継ぎする必要もなく、僕らはそのまま帰還することを許された。


「お疲れ様。大変な目に遭ったわね」


 オラクルから響く管制官の労いの言葉が沁みる。

 冷え切った心を温めるのに、ホットコーヒーの一杯でも飲みたい。魔法犯罪捜査係に戻ったら、三人の魔法使いにもコーヒーを淹れてあげよう。


 あのウエディングドレスの女も、このあと所轄の警察官たちの手によって確保されるだろう。そうすれば、彼女が何者なのか、いずれ身元も明らかになる。

 しかし、それよりもずっと大きな問題がある。

 B国資本の企業が所有するこの洋館で、大量虐殺がおこなわれていたという事実。

 事は日本だけではなく、国際情勢を左右する問題へと発展していくに違いない。

 できれば武力衝突なんて物騒なことにはならないでほしいのだが……。


 いずれにせよ、僕たちの役目はここまでだ。

 あとは日本政府に任せよう。

 とにかく疲れた。

 幸いにも明日は非番だ。魔法犯罪捜査係に戻ってホットコーヒーを一杯やったあとは、すぐに帰宅して泥のように眠りたい。

 どうせ見るのは、ウエディングドレスを着た女に追い回される悪夢だろうけど……。