キマイラ文庫

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目次

エトランジュ オーヴァーロード ~反省しない悪役令嬢、地獄に堕ちて華麗なるハッピーライフ無双~

喜多山 浪漫

episode106

小休止:悪役令嬢、天国でグルメ紀行。 《パンケーキ編》

 奇襲だから当然と言えば当然なのだけれど、神やその使徒たる天国の住人から妨害を受けることなく平穏無事に天国の門を通過することができた。

 飛行する猫型移動要塞マカロンのブリッジからは真っ白な雲と鮮やかな青空、そして緑生い茂る天国を見渡せる。楽園の二文字に相応しい風景だ。

 しかし、その美しさはどこか作り物めいていて、「ほら、こういうのが好きなんだろ」という作り手……神の傲慢な意図が透けて見えるようで好きなれないなどと言ったら、ひねくれ者だと思われるだろうか。だが、ひねくれ者おおいに結構。ワタクシとしては、いびつで極彩色の闇鍋のような地獄の風景のほうが自由で個性的で好ましく思う。

 我が地獄の軍団の手によって、この一見純粋無垢な楽園がワタクシ色(=阿鼻叫喚の地獄絵図)に染め上げられるのかと思うと、少女のように胸がときめいてくる。


「お嬢様。すんごい悪い顔になっていますよ」


 ちょっぴり困ったような笑いを浮かべながらスイーティアが昼食を運んできてくれた。


「今日の昼食は私がご用意ました。お食事と言えば地獄では激辛料理ばかりでしたけど、アホーボーンさんに教えてもらったところでは何でも天国ではスイーツが主食らしいのです。朝昼晩の三食スイーツで、しかもそれでいて太ったり糖尿病になることもないそうですよ」


 ズガガガガガガガーーーーーーーーーンンンンン!!!!!!!!


「な、なんですって!!?」


 かつてサキュバス一族の姫アリアに「スイーツを滅ぼしてやる」と言われたときと同じぐらいの衝撃を受ける。

 毎日三食スイーツで、しかも太ることも糖尿病になることもないなんて……。

 そんなのずるい。


「不思議ですよね。それも神様の御加護なんですかね?」


 作戦変更だ。

 天国を焦土と化し、阿鼻叫喚の地獄絵図にするのは中止。

 神の首を締め上げても、その神の加護とやらをゲットせねば。

 さすれば生涯スイーツ食べ放題。これまで足枷となっていた「太る」「糖尿病」という懸念材料を排除できれば、ワタクシはもはや無敵だ。ふははははははは。


「お嬢様。また悪い顔になっていますよ」


 はっ!?

 ワタクシとしたことが喜びのあまりに欲望丸だしになってしまっていたようだ。


「地獄では皆さんこぞって激辛料理をお出しするものですから私の出番がなくて、ちょっと寂しかったんです。でも、ここは天国ですし、お昼にもスイーツを召し上がっていただこうと思ってご用意したんですよ」


 地獄では出番がなかっただなんてご謙遜だ。スイーティアのスイーツがなければ、ワタクシは地獄で魔王になるどころか、とっくの昔に野垂れ死にしていた。スイーティアとスイーツは、いわば命の恩人だ。

 ちょっと寂しかった? 可愛いことを言ってくれるではないか。やはり嫁にするならスイーティアしかいない。

 でもね。ワタクシはまだ神の加護とやらを受けていないから、食べたら食べた分だけ太るし、糖尿病リスクも上がるんですけど、それは考慮されていないわけね。

 まあ、そんなのはあとで神を脅して差し上げれば何とでもなるだろう。

 それよりも今はスイーティアのスイーツが最優先事項だ。

 さて、何が出るかな? 何が出るかな?


「それで? どんなスイーツを用意してくれたのかしら?」


 逸る気持ちを鎮めながら、努めて冷静に努めてエレガントに尋ねる。


「王道にして定番、基本にして奥義。シンプルだからこそパティシエの技量が問われる最も簡単で最も難易度の高いスイーツ、パンケーキです!!」


 じゃじゃーん!!

 という効果音が聞こえてきそうなスイーティアの熱のこもった前口上。

 パンケーキか。確かにパンケーキなら昼食としてもおかしくはない。

 何なら三日三晩パンケーキだってワタクシは一向に構いませんことよッッ。

 しかし、スイーティアの言う通り、パンケーキは初心者でも簡単に作れるスイーツの入門編だ。一方でシンプルがゆえに極めようすればするほど料理人を出口のない迷路へと誘い込む一流パティシエへの登竜門でもあるとワタクシは考えている。


 専属メイドのスイーティアが作るパンケーキは生前から何度も口にしてきた。どれも文句なしに美味しかった。永世パンケーキ名人の称号を与えてもいいぐらいだ。

 そんなスイーティアがあえて満を持して作ったパンケーキとは果たしていかなるものか。期待に胸が膨らむ。


「さあ、どうぞお召し上がりください、お嬢様」


 そう言って目の前に置かれたのは、白いお皿にちょこんとのっかった1枚のパンケーキ。

 ……え?

 ……これだけ?

 よほど絶望的な顔をしていたのだろう。慌ててスイーティアが補足する。


「あ、お嬢様。ちゃんとおかわりはありますからご安心を。まずは1枚、召し上がってみてください」


 ほっ。

 おかわりはあるのね。

 あまりビックリさせないでほしい。あー、死ぬかと思った。

 さて、一安心したところでお皿の上には一見何の変哲もない1枚のパンケーキ。

 しかしスイーツの鉄人たるスイーティアが、ただのパンケーキで終わらせるはずがない。

 どれどれ。


 あーん。

 ぱくっ。


「こ、これは……!!」


 全身に雷で打たれたような衝撃が走る。

 これまでスイーティアが作ってくれた歴代パンケーキの中でも五指には入る美味しさだ。

 程よく焦げ目のついたふんわりとした生地。薫り高く、大地を感じさせる力強さ。よほど上質な小麦を使ったに違いない。

 しっとりと口の中でほぐれていく塩梅も素晴らしい。初心者はまずここでつまずく。ぱさぱさな仕上がりになって、すぐに飲み物がほしくなってしまうのだ。

 味も文句なし。小麦、ミルク、砂糖。どれも厳選してある。目を閉じると、愛情を込めてこれらの食材を育ててくださった生産者の方々の顔が浮かんでくるようだ。


 さて問題は卵だ。

 慣れ親しんだ鶏卵ではない。この卵からは生産者の方々の顔は浮かばない。


「この卵……」


「さすが、お嬢様。お気づきになられましたか。その卵、私が獲って来たんですよ。結構苦労しました。うふふ」


 人畜無害で虫も殺さないような表情で微笑むスイーティアだが、ひとたびスイッチが入れば拳ひとつで地獄の悪魔たちをもなぎ倒すバトルメイドに変身する。その原動力はワタクシへの忠誠心だというのだから、愛いやつめ。

 このバトルメイドが苦労して獲って来たと言うからには家禽の類ではない。

 コカトリス? グリフォン? それともワイバーン……?

 まあ、どれにしてもあまり深く考えないほうが精神安定上よさそうだ。

 美味しいは正義。美味しければすべて良しですわ。


「ふふっ。ぺろりと平らげましたね、お嬢様。では、お次は――」


 と言ってテーブルに乗せられたのは、なぜか深めのお皿に乗った1枚のパンケーキ。

 ……え?

 ……さっきと同じ?

 またしてもこの世の終わりのような顔をしていたのだろう。スイーティアがニヤリと笑った後にすかさず口上を続ける。


「ここに取り出しましたるは先程と同じパンケーキ。しかしここに魔法のシロップをかけると……」


 冗談めかして言うと、スイーティアがパンケーキの上にドバドバとシロップをかけていく。

 おおーっ。

 思わず身を乗り出して拍手しまう。

 メープルシロップだ。

 あの身も心もとろけそうになるような甘い香りがワタクシを誘惑する。


 ドバドバドバドバ。

 ドバドバドバドバ。


「え……? ス、スイーティアさん?」


「どうかされましたか、お嬢様?」


 何喰わぬ笑顔でメープルシロップをひたすら注ぎ続ける我が専属メイド。

 これは完全な確信犯だ。

 ようやくスイーティアが手を止めたときには、パンケーキはメープルシロップの海の底に沈んでいた。

 こんなことが許されていいのだろうか。

 確かに一度でいいからメープルシロップを気の済むまでかけて食べてみたいと思ったことはある。夢の中で見たことは一度や二度ではない。

 でもね。これはない。こんなの絶対反則。アウトかセーフかで言うと、永遠にアウト。

 だって、厳選素材の最高のパンケーキをメープルシロップの海に沈めてしまうわけですわよ? パンケーキのオーバーキル。こんなの許されるはずがない。

 けどね。許されない恋と同じように、許されないとわかっていても、許されないとわかっているからこそ乙女の心は燃え上がるもの。

 ええい、何を躊躇うことがある。

 ワタクシは魔王エトランジュ・フォン・ローゼンブルク。この世にもあの世にも恐れるものはなし。

 いざ征かん、メープルシロップの大海へ。


 あーーーん。


 じゅわっ。

 こ、これは……。

 これは危険なやつだ。

 人間を、いや神も悪魔も堕落させる禁断の味。麻薬的で蠱惑的な甘さが脳を直接刺激する。ひとたび口にすればたちまち虜になってしまい、二度と抜け出すことができないメープルシロップの罠……。

 これはダメなやつだ。これ以上、口にしてはいけない。このままではワタクシの人生はメープルシロップ漬けになってしまう。

 しかし、頭ではいけないとわかっていても、手が止まらない。ワタクシの身体と潜在意識はすでにメープルシロップの支配下にあるようだ。


「お気に召したようですね、お嬢様。甘みばかりだと飽きてしまいますので、ここで果実の酸味を加えるためのトッピングをどうぞ」


 悪魔の囁きをするスイーティア。夢中になって食べ続けるワタクシの了承を得ず、問答無用でイチゴ、ブルーベリー、ラズベリーを投入する。メープルシロップの甘みに鮮烈なベリー類の甘酸っぱい酸味が加わる。これがまたヤバい。

 あ。いけない。ヤバいなんて言葉、普段は絶対に使わないのに……。

 公爵令嬢として立ち振る舞いや言葉遣いを完璧にしてきたけれど、本能を直撃するような刺激を与えられると、ついつい本能的なリアクションをしてしまうことがある。

 地獄に堕ちてからその機会が増えているような気もする。

 まあ、それはルールでがんじがらめの人間世界から解放されて自由の翼を手に入れたから……と都合よく解釈しておくことにしよう。

 それよりも手が止まらない。お願い、誰か止めて。でも、止めないで。


「お嬢様。よろしければ、これもいかがですか?」


 と尋ねながらも勝手に何やらパンケーキの上で削り始めるスイーティア。

 これ以上、何をしようというのか。


「これはチーズです。私としてはメープルシロップの甘さには、少々癖のある青カビ系のチーズがよく合うと思うんですよ」


 ニコニコと嬉しそうに説明する我が専属メイド。

 この悪魔め……。

 そんなにもワタクシを誘惑し、堕落させてどうしようというのだ。

 けれども、ここまで来たら堕ちるところまで堕ちて差し上げましょう。

 こうなったらスイーティアと心中だ。


 えい。

 もぐもぐ。

 …………美味しい。

 メープルシロップの甘みと青カビ系チーズ独特の香りとが口の中で複雑に絡み合い、未知のまったく新しい体験を生み出している。

 新世界。

 夜空に浮かぶ星の海。

 そう、これは銀河流れる宇宙だ。

 まさか、いまだ旅したことのない宇宙をこのような形で体験することになるとは。


「ごちそうさま」


 心からの感謝を込めて、食後の礼をする。

 思えば、地獄の魔王に就任して仲間たちと新体制を築いたが、スイーティアだけは新たな役職を付けずに今まで通りの専属メイドにしていた。これはひとえにワタクシが独占したかったからに他ならない。

 しかし、このスイーティアの類まれなる才能を独占しておくのは、美しいからと言って鳥を籠の中に閉じ込めておくのと同じなのかもしれない。


 よし、決めた。

 スイーティアは、我が地獄のスイーツ大臣にしよう。

 予算も国防費と同じ規模にして思う存分、地獄に集まる様々な次元の人間世界のスイーツたちを研究し、スイーツが持つ無限の可能性を引き出してもらうのだ。

 うん。それがいい。

 それこそが魔王エトランジュ・フォン・ローゼンブルクにできる最大級の社会貢献というものだ。